みなさん、こんにちは。studioあお教室長の川村です。
この度は「京都インディー・ジョーンズ」の放送をご覧いただき、誠にありがとうございました。
番組を作ってくださったヨーロッパ企画さんには、
うちのような零細な教育事業者を面白がって、素敵な切り取り方してくださって、本当に感謝です。
番組内、冒頭10分くらいで「どうしてこんな変な教室を始めたのか」という話に対して、『勉強できる子、勉強できない子』の話がチラッと出てきました。
番組では尺の都合などもあって、お伝えしきれないところがあったので、ここで詳しく書こうと思います。
私の教育観や、社会観に関わるところなので、ちょっと長めになります〜。
目次
1, お勉強できるできないは、どっちでもいい
2, 教育の目的は「社会の一員を育てる」こと
3, 自ら問いを立て、発想し、実装する人間を育てる
お勉強ができるできないは、どっちでもいい。
番組内では「勉強ができない子を受け入れる」と、そんな風に伝わってしまいそうな言い回しになってしまいましたが、ちょっとそこは誤解が発生しそうな気がしたので、ここで書かせてください。
studioあおには正直、勉強が苦手な子もいます。
が、逆に勉強が得意すぎて、学校がつまらないという子もいます。
studioあおにとって、勉強のできるできないは、めちゃくちゃどっちでもいいことなのです。
studioあおが目指すのは「10年後の社会と子どもの接続」なので、そこに「学力」や「偏差値」という指標はあまり意味を為さないと考えています。
普段のうちの教室でいうと、
「〇〇やってみたい!」と自分たちでプロジェクトを起こし、自分たちで推進して、やりきる。
これができるかだけが重要であって、こちらから何か課題を与えたりすることはほとんどありません。
自らのモチベーションで、行動を起こし、周りに影響を与える。
それはテーマが生き物であろうと、ドラマについてであろうと、本についてであろうと、料理についてであろうと、なんでもいいんです。
・家、学校、塾以外に子どもたちが集まれるご飯イベントをつくる
・野良猫に飼い主を探すために、その猫の写真集をつくる
・京野菜を使ったインスタントラーメンの新しいレシピを考える
・フグの60倍危険なイソギンチャク毒の防ぎ方を研究する
・どこに、いつ、何を釣りに行ったら最も魚が釣れるか突き止める
・どういう空間レイアウトだと、本嫌いの人に自然に本を読ませられるか考える
etc...
多彩すぎてもはや意味わからないかもしれませんが、全てに共通するのは、それぞれ自分で「これをやってみたい!」と生徒から言い出したところです。
みんな最初から上手に表明できるわけではありませんが、対話の中で少しずつ引き出してみると、みんな持ってます「やりたいこと」。
とまあ、こういうことをやっている教室なので、うちでは「お勉強ができる」という理由で特別褒められることもありません。逆に「お勉強ができない」という理由で叱られることもありません。
めちゃくちゃどっちでもいいんです。
教育の目的は「社会の一員を育てる」こと
ハッキリ言って、現代において、公教育での評価基準と、社会での評価基準とは、大きなズレがあります。
お勉強ができれば社会で活躍できるとは限らないし、そもそも社会での活躍の定義がものすごく多様化している。その世の中で「偏差値」という一様な価値基準での対応には限界があります。
勉強が苦手な子や、学校に行きたくない、という子は、ただただ勉強や学校が合わない"だけ"で、それは彼らに能力があるかないかという話ではない。なのに、その合うか合わないかが、彼らの能力や、彼らの未来の可能性と同一的に扱われている。この事実に僕は疑問を感じます。
勉強なんて、できたらそりゃいいかもだけど、別にできなくてもいいよ。大事なのはそこじゃない。
大切なのは君の才能や、好きなことを見つけることだし、君が10年後の社会でどう生きていくかを考えることだ。
子どもたちにはそう伝えています。
同世代を見ていても思いますが、社会に出てから苦しい思いをしている人がたくさんいます。それは「今の子が甘ったれてる!」「ゲームのしすぎだ!」とかそんなアホな話じゃなく、社会と教育の乖離が強くなっているから、ただそれだけだと思います。社会、特に産業は競争の中ではどんどん変化していきますから。
20歳そこそこまでは文科省ベースの価値基準なのに、そこから急に経産省ベースの価値基準に放り投げられる。そんなのストレスに決まっています。
「この問題解いてね(にっこり)」から、「価値を出せ〜!負けるど〜!(オラオラ)」に豹変するわけです。そりゃみんな病みますわ。3年以内に辞めますわ。
ここら辺の課題に対して、ミネルバ大学やN高といった参考になるような学校はありますが、僕はできるだけ小さなうちからのアプローチが重要だと考えています。
できるだけ小さなうちから社会のベースとなる価値観を子どもたちに体感して欲しい、という考えから、社会とシンクロする教育を目指して、studioあおをやっています。
ここらへんにはテクノロジーの文脈も深く関わってきますが、長くなりすぎるので、今回は割愛します。
▼教室の雰囲気はこんな感じ▼
自ら問いを立て、発想し、実装する人間を育てる
「社会の一員」というのは社会を「より良く」する人のことを指し、「より良く」するためには「自ら問いを立て、発想し、実装する」ことが必要だと考えています。だから社会を意識しながら「問い・発想・実装」ができる人は10歳でも社会人。
「これなんでだろう?」や「これはどうやったらできるんだろう?」という疑問(問い)を持ち、「こうやったらできるんじゃないか」「こういう方法があるんじゃないか」と仮説を立て(発想)し、それを実行に移し、周囲の人にいい影響として届ける(実装)を行う。これができれば社会の一員です。社会人です。
だから逆に言えば、20歳超えても、会社に勤めていても、社会人じゃない人間はいる。逆に10歳の社会人もありえる。
だって、「世界最強の猛毒イソギンチャクの毒の防ぎ方を見つけ、そのイソギンチャクが群生する海岸を地域の人が泳げるようにする」とか、「被災地にすぐお金が送れるよう、過去に被災した地域の特産品を売り、その儲けたお金をストックしておく」って、これやってる人を、社会の一員以外になんて呼ぶのか、僕はわかりません。
こうやって自分の興味関心を通して、社会に関わることに意識的になってもらう、それがこれからの「やさしくて、なめらかな世の中づくり」にとっても大事なことだと思ってます。
ということで、まずは問いが大事。
生徒「先生これ調べても出て来ない〜!」って言われたら、
先生「やるじゃん!それつまり良い"問い"ってことだよ〜!!」
ってな感じのとこです、studioあおは。
ちょっと長くなりすぎてきたので、続きはまた。
10歳からの社会教育やってます「studioあお」です。
変な教室ですが今後とも是非に、よろしくお願いいたします。
興味持ってくださった方はこちらからにご連絡いただけますと幸いです〜!
2月に広い教室に移転、新規生徒を募集してます〜。
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