企む職員室。[studioあおブログ]

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『いじめRPG』第9章 いじめ三種の神器 左子光晴

いじめ三種の神器

 ステージ④ダンジョン:伝説の装備を集める旅に出る
 →いじめの証拠を集める

 9月18日 火曜日
 痛い。
 腕のしびれで目が覚めた。そう言えば机で力尽きたんだった。
 昨晩はいじめが始まった頃からの「くさったの日記」をひたすら書きこんだ。意外と覚えていないもんだなあ。あんなに辛かったはずなのに、いつ、どこでなんて記憶がごっそりと抜けていた。悔しいな。忘れたくても忘れずに、毎日書いておくべきだった。

 毎日やってるとセットにも時間がかからなくなってきた。継続はなんとやらってとこか。母さんは昨日の夜から仕込んだんだろう、朝からカレーを出してくれた。やっぱりレトルトよりも母さんのほうが美味しい。たとえそのルウがスーパーで特売のものでも、美味しいものは美味しい。
 玄関に向かう。すぅーっと息を吸い込む。
 右。
 左。
 なんなく靴を履けた。うん、大丈夫。

 振り返ると母さんが立っていた。僕の顔を覗き込み何かを考えている。2秒、4秒、6秒と考えて、母さんはいってらっしゃい、と声をかけてくれた。僕は、いってきます、と答えて玄関の扉を開けた。寒いねと、で始まる俵万智の短歌を一瞬思い出したが、九月のむんとする熱気にその余韻はかき消された。
 レコーダーをポケットから取り出し、オンにしてまた戻す。念のためもう一度レコーダーを取り出し、作動しているかを確認した。よし、探偵家業の始まりだ。

 下駄箱にはやはり僕の上履きは無かった。これでいい。僕はジャックパーセルのまま教室へ向かった。
 教室に入ると、いつも通り僕の机は定位置に追いやられていて、今日も花瓶が置いてあった。水が無くなって少し枯れ始めたその花とは対照的に、僕は凛としている。外靴を教室で履いているだけなのに、まるで重大な禁忌を犯しているかのような高揚感に満たされる。
 時計を見ると8時15分。山口たちが来るまで残り10分あった。まだ余裕がある。
 僕はその勢いのまま、スマホのカメラで机を撮影した。花瓶の写真を一枚。そして教壇に貼られている座席表と、教壇から見えるクラスの全体も撮影した。なんとも探偵っぽい。
 席に戻ると、僕は机を本来あるべき位置に戻さず、花瓶もどけないままに椅子に座った。さぁ準備は整った。どこからでもかかって来い。

 「おいおい、まだ死んでなかったのかよ。もう頼むから成仏してくれよー。」来た。大原だ。後ろで山口がにやにやしているのが見える。
 「おいキモ蟲。昨日の授業は午前で終わりか?違うよなー?午後も授業あったよなー?勝手に帰るのが悪いってことくらいキモ蟲でもわかるだろ?これは教育的指導が必要だな。1限目終わったらトイレ来い。」
 すぅーーーふぅーーーーーー
 「…お、おお…大原くん、や…ややめてよ。」
 「は?何をやめるって?」
 「ぼ、ぼぼぼくは、き、キモ蟲なんかじゃない。か、川村だ。そ、そう呼ぶのやめてよ大原くん。」
 「気持ち悪いしゃべりかたしてんじゃねえよ!」
 「そ、そそ…それに花瓶を置くのもやめてよ!」
 「わざわざ買ってきてやったんだぞ?気に入らねーなら花代と花瓶代よこせ!まぁ内村の金なんだけどな。」
 「大原のしつけが悪いんじゃねえかー?」
 「何言ってんだよ山口?」
 「ほら。こいつ靴のまま教室入ってるぜ!」
 「おいキモ蟲!ただでさえお前が教室にいるだけで汚れんのによ、きたねー靴のまま入ってくんじゃねーよ。そんなルールも守れねえのかよ!」
 「じ…じゃあ上履き、か、返してよ大原くん!」
 「はぁ?お前の上履きなんて知らねえよ。知ってたとしても返さねえし、自分で見つけろキモ蟲。」
 「ほ、ほんとに知らないんだね?」
 「疑ってんじゃねえよ!殺すぞキモ蟲!」
 「わかったよ大原くん。疑ってごめんね。」
 キーンコーンカーンコーン

 キモ蟲に疑われてんじゃん、と山口にいじられた大原は、松本や寺田にも笑われて明らかに不機嫌そうだった。内村はそのあおりを受けてバシッと頭を叩かれていた。

 まだだ。集中を切らすな。耳を済ませろ。聞こえてくるはずだ。スリッパの音。集中。集中。来る。間違いない。あと一息。もう少し…よし来た。
 先生は教室に入ってくるなり僕を見た。

 「おい川村、なんでそんなところに座ってるんだ?」
 すぅーーーふぅーーーーーー
 「も、森川先生。朝来たら、机がここに置かれていました。そして花瓶が置かれてありました。」
 「誰だーそんなことやったやつ?川村とりあえず机を元に戻しなさい。」
 「こ、この花瓶はどういう意味ですか?」
 「ただのいたずらだろ?とにかく机を戻しなさい。授業始められないだろう。」
 「森川先生。僕の質問に答えてください。この花瓶はどういう意味ですか?」
 「きれいな花だから、親切な誰かが置いてくれたんだろ?わかったら机を戻せ。」
 「森川先生。これは菊の花です。お葬式のときに使う花です。これがどういう意味か教えてください。」
 「川村いい加減にしろ!みんな困ってるだろ!」

 山口たちが叫び始める。「せんせー。授業始めてくださーい。僕たち学費払ってるんで授業を受ける権利がありまーす。それとも1限目は休校っすか?」
 わはっはははっはは。クラスのみんながどばっと笑う。

 「川村。昼休みに職員室に来なさい。そこでゆっくり話を聞こう。それから教室では上履きを履くこと!」
 空気を読むな。ここはこだわる。譲れないところだ。
 「上履きがなければどうしたらいいですか?」
 「なかったら買えばいいだろ!」
 「失くなる度に買わなきゃいけないんですか?」
 「そりゃ失くなれば買わなきゃいけないだろ。そういうルールだ。」
 「じゃあ僕は毎日上履きを買わなきゃいけないってことですね?」
 ダンッ!!先生が教壇を叩く。
 「もういい!お前のせいで授業を止めることはできない!あとでたっぷり話を聞いてやるから今は黙れ。机も靴もそのままでいい!勝手にしろ!」

 「空気読めよー。」「どうして川村だけ特別なんですかー。」「おれも下駄で来ようかなー。」山口たちが騒ぎ出す。
 ざわざわざっー。それにつられてみんなが騒ぐ。

 僕は大きく息を吐き出し、机に伏せた。息を殺しても、背中の震えが止まらない。噛み殺しても、笑いが止まらない。こんなおかしい気分は初めてだ。すべて作戦通り。

 「勝負は朝に決まる。」
 「え?」
 昨日の作戦会議でカマキリさんはそう呟いた。
 「朝はモチベーションが高いはず。時間が経てば経つほど、その気力は逓減していくわ。だから川村っちは朝一の勝負にすべてをかけるのよん。」
 「どうすればいいんですか?」
 「サビキ釣りといきましょうか。」
 「なんですかそれ?」
 「サビキ釣りはマキエカゴに餌を入れて、複数の針がついた仕掛けで複数の魚をいっぺんに釣る手法よ。つまり、山口きゅんや森川ちゃんが反応してくるような餌をばらまいちゃうの。例えば川村っち上履きを隠されるって言ってたわよね?」
 「はい…」
 「この靴のまま教室に行っちゃいましょ。」
 「え、でも…」
 「確実にやつらは反応してくるわ。なんで上履きじゃねーんだよって。そこで5W1Hのテクニックを使えば1つ目の証言いただき、いっちょあがりってね!」
 「なるほど!で言うと、机が動かされてることや花瓶が置かれてることも使えそうですね!」
 「もーう!川村っちは最高に意地悪なんだから!やっておしまい!」
 「…もしうまくいかなかったらどうしたらいいですか?」
 「それはもう逃げちゃお!ぴゅんって逃げちゃお!朝一にすべてをかけるということは、そこを逃せばチャンスはやってこないということ。無理に長居して気力を減らしちゃうくらいならミチロウんとこに逃げちゃいましょ!ミチロウは朝9時から店開けとくこと!」
 「うぃーす。問題ねーっす!」
 「名づけて、がんがん朝釣り作戦!」
 「まんまですね…でも、それいいかも。それならできそう…」
 「…ミチロウさんいいんですか?」
 「ちょっと眠いくらいでしょ?川村くんのがんばりに比べたら朝め…朝釣り前だよ!」
 「朝釣り前はちょっとよくわかりませんが…ありがとうございます!」
 「よしそうと決まったらあとは実行あるのみ。緊張したら腹式呼吸よ。背筋伸ばしてお腹を膨らませるイメージで鼻から息を吸いこむー。恐怖と緊張を吐き出すように今の倍の時間をかけて吐き出すー。」
 すぅーーーーーーふぅーーーーーーーーーーーー
 「ちょっと長すぎー。もういっかーい。」
 すぅーーーふぅーーーーーー
 「ナイスでーす。」
 「なんか落ち着きますね。気に入りました。明日はこれでがんばります!朝だけでも。」
 「朝から開けとくからいつでもおいでませ。」
 「レコーダーを回している間は、いじめてくれてありがとうございます、くらいの気持ちでいなさい。その受けた痛みをあとあと100倍にして返せるから。」

 結果は大漁だった。僕は誰にも気づかれないようにレコーダーを取り出した。真ん中のボタンが赤く光っている。ちゃんと声が入っているか心配だったが、なに、録れてなかったら明日もやればいいだけのことだ。
 一度話し出せば自分で止めるのが困難なほどに言葉が溢れてきた。徐々にうまく話せているのが手を取るようにわかった。
 この時点で今日の釣果は十分過ぎるものだったが、昼休みにまだ大きな魚を釣れそうな気がしたので、それまでは学校にいようと心に決めた。釣りが趣味の探偵を主人公にした小説も悪くなさそうだ。

 1限目が終わり、森川先生は僕をにらみながら教室を出て行った。僕はその視線を右肩に感じつつ、ミチロウさんにショートメールを入れた。「爆釣でした。店には行きません。おやすみなさい。ありがとうございます。」
 メールを打ち終えると山口が近づいてきた。
 「キモむしー。ちょっと来い。」
 とうとう魔王の登場だ。中ボスとはわけが違う…身体が大きくて迫力がある…
 「…ど、どこに行くの山口くん。」
 「トイレだー。いいから黙ってついてこい。」
 「と、とトイレに行って何するの?」
 「キモむしー。あんまり調子に乗るなよ?」
 ゾクッ!!背中が毛羽立った…
 「…い…いかない…何をされるか聞くまで、僕はここを動かない…」
 「そうかー。じゃあここでいいや。」
 ドスッ。鈍い音から少し遅れて右肩に痛みがじわりじわりと広がった。
 「…い、痛いじゃないか山口くん。僕の右肩を殴るのはやめてくれよ。」
 「気安く名前呼んでんじゃねえぞコラ!ここで死ぬか黙ってトイレについてくるかどっちか選べ。」
 「…や、山口くん。ぼ、僕をいじめるのはやめろ。いじめをやめなければ法的措置に基づいた…そ…法的措置をとる。だけどもし今止めるなら…ゆ、許す…どどーする?」
 「ふざけてんじゃねーぞキモむしー。まじで殺すよ?」
 すぅーーーふぅーーーーーー
 「それが山口くんの答えというわけだね。了解。」
 キリキリキリキリッ
 「山口?こいつまじでやっちゃっていい?」
 「大原くん。カッターナイフを出して何をするの?」
 「おいキモ蟲、黙らねえと一生残る傷つけちゃうよ?」
 「大原くんも僕へのいじめを止めないって事だね?それでいいんだね?」
 「大原やめとけー。ここじゃまずい。」
 「んだよー!!!!」
 ガンッ
 「大原くん机蹴らないで。」
 取り巻きの松本、寺田、内村はそのやりとりを黙って見ていた。
 魔王と戦えた。勝ってはいないけど負けてもない。
 呪文「ザラリホー」も使えた。一切効かなかったけど、それでも唱えることができた。
 なんだ。一度がんばるだけでいいんだ。一度成功してしまえば怖さは和らぐんだ。
 昼休みまで僕は机から動かなかった。ミチロウさんからは「フフフ 店は開けておくからいつでもど~ぞ~。とりあえずおやすみ。」と返信が来た。

 4限目が終わり、僕はカバンを持ってまっすぐ職員室に向かった。
 がはははっはは。先生は大笑いしながら他の先生と昼食をとっている。
 「先生、話できますか?」
 「かわむらー。今日はどうした?様子がおかしいじゃないか?」
 「森川先生、僕がおかしいのは今日だけですか?」
 「いつもは静かに座ってるだけなのに今日はやたらめったら絡んできてさ。授業の邪魔しちゃだめだろー?」
 「森川先生二人で話せますか?」
 「昼飯食ってるんだ。見ればわかるだろ?あとにしてくれ。」
 「僕は森川先生に呼び出されたので昼ごはんも食べずにここに来ました。」
 「昼飯持ってきてないのか?教室で待っとけ。20分後にもう一度こい!」
 すぅーーーふぅーーーーーー
 「教室に戻ればまた山口くんたちにいじめられますが、森川先生の対応はそれでいいんですね?」
 「いじめ?ちょ、ちょっと待て。よし、生徒指導室にいてくれ。すぐいく。」
 
 職員室がすっーっと静まり返った。
 「わかりました。じゃあ生徒指導室にいます。教師としてしかるべき対応をよろしくお願いします。」
 教師たちのざわめきを背中に感じる。その声に押されるようにして僕は胸を張って歩いた。
 
 生徒指導室はぴーんと空気が張り詰めていて、廊下のむんとした暑さを忘れさせるひんやりした部屋だった。ここには体温がない。まるで世界と隔絶されているかのように。
 窓越しに差し込んでくる柔らかい日の光を見つめていると、しばらくして先生がやってきた。
 こちらが場をリードする。受身の教師に対しては先手をとれ。それがカマキリさんの教えだった。
 「森川先生。今日何日でした?」
 「今日は9月18日だろ。」
 「そうですか。昼休みにもかかわらず生徒指導室に呼び出してくださり、また時間をとっていただきありがとうございます。」
 「お、おぉ…待たせて悪かったな。さぁ話を聞こうじゃないか。」
 「どうします?呼び出した先生から話を始めるか、僕から結論を切り出すか。」
 「川村の話を聞こう。なんでも話してくれ。」
 すぅーーーふぅーーーーーー
 「山口くん、大原くんにいじめられてます。松本くん、寺田くん、内村くんもそれに便乗していじめてきます。」
 「か、勘違いじゃないのか?」
 「僕の机が動かされていたこと、花瓶が置かれていたことにいついてはどう思いますか?この落書きされた教科書を見てどう思いますか?」
 ジィーーーーーッ。バサッ。
 「それはだな…だからその、つまり山口たちがやったということか?何か証拠でもあるのか?」
 「その証拠を探すのが教師の仕事じゃないんですか?」
 「川村、まぁ一回落ち着け。お茶でも飲むか?」
 「けっこうです。話をそらさずに答えてください。」
 「じゃああとで山口たちを呼び出して話を聞いてみるよ。それでいいか?」
 「そんなことをすれば僕がさらにいじめられることがわかりませんか?」
 「じゃあどうしろって言うんだよ!何がしてほしいんだ?先生は川村のために何をすればいいんだ?」
 「森川先生。教頭、校長にいじめがあることを報告してください。その上で秘密裏に調査を行ってください。」
 「調査って…もし山口たちがやってなかったらそのときはどう責任をとるんだ?」
 「責任?いじめられていると申告した生徒が、いじめの疑いをかけた相手に謝罪しろってことですか?いじめられっ子が責任をとらなきゃいけないんですか?」
 「疑うということは相手を傷つける行為だろ?ここは慎重にいこうじゃないか。」
 「それは、いじめられっ子の傷は問題にしないということですね?」
 「それだけ話せるなら傷ついてないだろ。」
 「森川先生、今の言葉忘れないでくださいね。で、教頭や校長には報告してくれるんですか?」
 「せ、先生ももう少し山口たちを見るようにするから…その、それで何か異変があれば報告ということでどうだ?」
 「そうやって先延ばしにするのが教師の常套手段ですか?管理職にいじめの報告をしたくないから?評価を落としたくないから?」
 「馬鹿にするのもいい加減にしろ!教師をなめたような態度をとるんじゃない!」
 「森川先生。僕が昨日濡れていたの気づきましたか?」
 「ん?そうだったか?」
 「大原くんに花瓶の水をかけられました。そんなずぶ濡れになっている僕を見て先生は、川村今日は来てるのか、と言いました。」
 「いやーそれは気づかなかったなー。悪かったよ。」
 「僕がずぶ濡れになっていることも気づかない森川先生が、先生のいないところで行われるいじめに気づけると思いますか?」
 「…わかったよ。教頭、校長には報告しておく…」
 「いつ報告しますか?今日ですか?」
 「今日は教頭も校長も忙しいから明日にでも話しておくよ。」
 「明日は忙しくないんですか?なぜそれがわかるんですか?」
 「それはだな…」
 「今日中に必ず報告してください。約束してもらえますか?」
 「…わかったよ。」
 「森川先生ありがとうございます。僕の話は以上ですが、先生からは何かありますか?」
 「もし仮に川村がいじめられているとする。だけどそれは川村にも問題があるんじゃないか?人のことを棚に上げてばかりだが、お前も友達をつくったり、いろいろ直すとこがあるんじゃないのか?」
 すぅーーーふぅーーーーーー
 「黙ってちゃわからんだろ。え?どうなんだ?」
 「あくまで森川先生はいじめられる側に責任があるということですね?」
 「そうじゃない。いじめる方も悪いが、いじめられる側にもそうされて仕方ない部分があるんじゃないかと言ってるんだ。」
 「その意見が正しいということを論理的に説明してもらっていいですか?」
 「いじめたくなるような発言や行動をとっていれば、そりゃいじめられるだろ。自分に矢印を向けなきゃ人は成長できないぞ?お前を成長させるためにみんな厳しい意見を言ってくれてるんじゃないのか?」
 「破綻と言うか、何を話しているのかよくわかりません。つまり僕はまわりより劣っていることを自覚し、その上で愛を持っていじめてくれる人間に感謝しろ。そうすれば劣っている部分を直せるぞ、ということですか?」
 「もういい!そうやって揚げ足をとって何が楽しいんだ!先生も忙しいから、もう教室戻れ!」
 「森川先生、お時間とっていただきありがとうございました。先生のいじめに対する考え方がよく理解できました。教頭、校長への報告は今日中にお願いします。あと教室には戻りません。帰ります。」
 「川村。あまり大人をなめるなよ。」
 「ありがとうございました。」
 ガラガラガラ。ガラガラバタンッ。

 ピロティを抜け、校門までのゆるやかな坂を下っていく。用務員のおじさんが 「あら、川村くん今日はもうお帰りかい?」と言ってきたので、「人事を尽くして天命を待ちます。」と伝えた。
 冷え切った僕の身体を九月の太陽がもわわ~んと温めた。

 「どうする?寄ってく?」
 店前で伸びをするミチロウさんに出くわした。
 「ミチロウさんこんにちは。今日は天気がいいんで散歩して帰ります。」
 「ご機嫌さんだねー。明日も行くの?」
 「今週は午前皆勤を目指します!」
 「午前皆勤って、なにその面白ワード。」
 「ミチロウさん。なんか思ったんですけど、僕は実体以上の虚像と戦っていたのかもしれません。」
 「どういうこと?」
 「うまく言えないんですけど、今日話してみてわかりました。そんなに怖くないんだって。怖れていた相手が怖れるに足りなかったというか、こんな程度なんだって。絶対勝てない存在だと勝手に思ってたんですけどそれは虚像でした。実体はそれほど大きなものじゃなかったんです。」
 はははっは。ミチロウさんは笑い出した。
 「どうしました?」
 「いやー狙い通りだなと思って。まぁまた遊びにおいで!ピンチの時でも、なんでもない時でもいいしさ。最近川村くんと話すのがほんとに楽しいんだ!」
 「ありがとうございます!また来ますね。」

 玄関をくぐり、僕はレコーダーのボタンを押した。赤いランプが消えて今日の探偵業務は終了。部屋に戻ると、がくっと膝から崩れ落ちた。とてつもない疲労感がのそりのそりと指先まで這ってくる。中指の先までそれが到達したとき、僕とカーペットの隙間は真空となった。

 9月19日 水曜日
 ベッドで朝を迎えた。あれ?床で寝なかったけ?というか今何時だ…7時。夜?違う。デジタル時計だから朝の7時だ。昨日帰ってきたのが14時頃だったからとんでもなく寝てたんだな。
 リビングに向かうと今日も母さんがカレーを用意していた。
 「心配したわよー。死んでるんじゃないかと思って。」
 「母さんがベッドに運んでくれたの?」
 「そうよ。俊樹だいぶ重くなったわね。」
 「子どもじゃないんだから。」
 「何言ってんの。あんたはまだ子どもよ。」
 「それもそうか。あ、そうだ。」
 僕はポケットからレコーダーを取り出して早送りした。ノイズが入っていたがしっかりと声は録音されていた。よし。
 「それがレコーダー?」
 「そう、やったのレコーダー。」
 「何それ?」
 「伝説の装備。」
 「意味がわからん。で、うまくいったの?」
 「ばっちり!今日も学校に行くよ。だけど昼には帰ろうと思う。」
 「俊樹の好きなようにしていいわよ。さぁ学校いくならさっさと食べちゃいなさい!」
 不思議な会話だな。親は子どもを学校に行かせたがるはずなのに、好きなようにしていいだって。母さんには感謝だ。逃げる場所があるから戦えるんだ。
 「母さんありがとう。」
 「…どういたしまして!」

 支度を済ませて家を出る。レコーダーをオンにして学校に向かう。昨日のような不安はもうない。
 下駄箱を念のため確認したら、上履きが置いてあった。戻ってきたんだ。
 あれ?
 教室に向かうと、机は置かれるべき場所に配置されていた。花瓶も片付いていて、僕の机はきれいになっていた。
 ん?
 8時25分になり山口たちがやってくる。僕のことを見てるが、こちらに寄ってくる気配はない。チャイムが鳴り先生がやってくる。僕をちらと見たが、何も言わず出席を取り始めた。

 いじめが、終わった?

 僕は不安になった。こうあってほしいと願っていたのに、こんなにもあっさり解決するとは。嬉しさよりも戸惑いのほうがはるかに大きかった。
 1限目が終わっても山口たちが近づいてくることはなく、そのまま授業は進んで昼休みになった。ポケットからレコーダーを取り出すと赤いランプが点滅している。やばい。昨日充電し忘れた。これは早く帰るべきか?いや、先生にあのことだけは聞いておかなければならない。

 がはははっはは。昨日と同じ光景が職員室に広がっていた。
 「森川先生。ちょっとだけいいですか?」
 「なんだ川村。」
 「教頭と校長には報告してくれましたか?」
 「え…あぁ言っておいたよ。大丈夫。心配するな。」
 「そうですか。森川先生ありがとうございます。」
 「あぁ…」
 僕はその足で教頭先生の机に向かった。
 「どこ行くんだ川村?おい!」
 「教頭先生。1年の川村です。昨日森川先生から何か報告を受けましたか?」
 「川村くんこんにちは。報告?いえ、何も。」
 「ちょ、ちょっと川村!ちょっと話し合おう。な!」
 「報告してなかったんですか?」
 「先生ちょっと勘違いしてた!そう言えば昨日は忙しくて話せなかったんだ。うっかりしちゃってたよごめん。」
 「そうですか。じゃあ今報告してください。」
 「ちょ、ちょっとそれは先生たちにもいろいろルールがあるから…とにかく今日話しておくから。な、今はいったん教室戻ってくれ!な!」
 「森川先生どうかしましたか?報告って何ですか?」
 「教頭先生あとで話します。とにかくちょっと川村を教室に連れて行きます。」
 ギシッギシッギシッ。ガラガラガラ。ガラガラバタンッ。

 「おいおい川村。あんなことしたらいけないだろー。」
 「どうしてですか?」
 「どうしてって…先生にも面子とか立場とかあるんだからさ。高1になったらそれくらいわかるだろ?」
 「報告したと言って報告していなかった。虚偽事実が悪いことを教師になってもわかりませんか?」
 「だからそうやって人の揚げ足をとるな!先生も忙しくてうっかりしてただけなんだよ。このあと絶対話しておくから。な!」
 「森川先生。校長にもちゃんと報告しますか?約束できますか?」
 「あぁ約束する。必ず話すから。」
 「ありがとうございます。では失礼します。」
 はぁーーーーー
 深いため息が背中で聞こえた。なんだか僕がいじめているような気分になった。うーん。
 ポケットを見ると、赤いランプはまだ点滅していた。間に合った。今の会話は録音できたんだ。僕はレコーダーをオフにしてカバンの中の小さなチャックに仕舞った。

 よし。今日のミッションは終了だ。帰ろう。下駄箱に向かい、靴に履き替える。
 右。左。
 上履きを掴んで下駄箱に入れようとしたとき、右側に視線を感じた。
 「キモ蟲。ちょっと来い。」松本と寺田だった。

 いつもは誰もいない僕だけの校舎裏に、今日は山口と大原、そして内村がいた。
 「昨日言ったよな。午後からも授業はあるってよー。何帰ろうとしてんの?」
 「おいキモむしー。あまりおれをなめんなよー。さっき職員室行ってたろ?森川にちくったのかー?」
 「ほ、ほほ、報告したよ。」
 「チクッたらどうなるかくらいわかるよなー?」
 「どうするの山口くん?」
 「松本、寺田。キモ蟲掴んどけー。内村は人がこないか見張ってろー。」
 「ま、まま松本くん、寺田くん放してよ!」
 「黙ってろキモ蟲。お前もこうなることわかってチクッたんだろ?黙って山口に殴られとけ。」
 「歴代のキャプテンはさー、ラグビー推薦で大学に行けんだわー。おれさー、来年キャプテンになりそうなんだわー。でもさー、お前のせいで推薦なくなるかもしれないってわけよー。おれかわいそうじゃない?」
 「じ、じ自業自得じゃないか!」
 ポケットを触って気がついた。あ、そうだ。レコーダーを切ったんだった…まずい。やばい。
 「かっちーん。人の痛みがわからないやつには、痛みを教えてあげなきゃなー。おい松本。キモ蟲のカバン邪魔だから持ってろー。」
 僕は咄嗟に松本と寺田の腕から潜り抜けた。そしてカバンを両腕で抱きしめて丸まった。これだけは絶対に渡さない。死んでも放さない。
 
 「山口やばい!用務員のおっさんが近づいてくる!」
 「内村!こっちにこないように足止めしろ!」
 「足止めって言ったって。あ、ちょっと用務員さん!」
 「なにしてんだー!!」
 「いや、別にプロレスごっこですー。な、川村?じゃあぼくたち授業が始まるんでいきますねー。」

 「川村くん大丈夫かい?」
 僕はしばらく動けなかった。少し動くだけで、背骨がきしみ、肋骨がうずいた。
 「あいつらはもう行ったよ。保健室行くかい?」
 「だ…大丈夫です…」
 「ずっといじめられてたのかい?」
 「…もう少しの我慢なんです…だから今日のところは黙っててください…」
 「…わかった。でも保健室には行ったほうがいいんじゃないか?」
 「行けば先生たちが騒ぎます…だけどまだその時じゃないんです…僕は負けません。」
 「わかったよ…いやーしかしびっくりした。いじめられてる亀を助けた気分だよ。」
 「浦島太郎みたいでしたね。」
 はははっと二人で笑うと、肋骨が響いて痛みが走った。
 「用務員さん。来週の月曜も学校にいますか?」
 「あぁもちろん。どうしたんだい?」
 「竜宮城に連れて行きます。鯛やヒラメは踊りませんが、面白いものをお見せします。」
 「楽しみにしてるよ。」
 僕はよたよたと立ち上がり、よろよろと歩いた。
 「川村くん。冬来たりなば春遠からじだよ!」
 「用務員さん。まだ秋も来てませんよ!」

 なんとか家までたどり着いた僕は、カバンの中からレコーダーを取り出した。再生ボタンを押すと、今日の会話が録れていた。壊れていない…よかった…
 悔しい。だけど「やったのレコーダー」を守り抜いたんだ。やつらはこの存在に気づいていない。まだまだ僕のほうが優勢だ。絶対にここで心を折らないぞ。最後まで戦い抜いてやる。
 僕は「やったのレコーダー」を充電器に繋いだ。レコーダは黄色いランプを点滅させて電気をぐびぐびと飲み込んでいった。

 9月20日 木曜日
 軋む身体に鞭打って学校に行く。山口たちは何も攻撃してこなかった。昨日の一件から僕を敬遠しているのかもしれない。昼休みにまた森川先生のところに行った。教頭には報告したとのことだったので、念のため教頭に確認したところ「たしかに森川先生から報告を受けました。早急に調査を行います。」と言われる。僕は「明日進捗を聞かせてください。」と伝えた。

 9月21日 金曜日
 まだまだ痛みは取れない。上履きがまたなくなっていて、机も定位置に置かれていた。外靴のまま教室に行き、机も元に戻さずそのまま授業を受けるが、森川先生はもう何も言ってこなかった。いじめ調査の進捗について教頭に確認しに行ったところ、「こういうのは慎重に動かないと、当事者も混乱するからもう少し時間が必要だ。」と言われた。僕は森川先生と教頭の手を振りほどき、校長室に入った。校長先生は僕のいじめの件について報告を受けていますか?、と尋ねたところ、「そんな報告は聞いてないよ。教頭先生これはどういうことですか?」と言っていた。やはり学校にいじめの相談をしたところで何も意味がない。もう戦うしかない。

 9月22日 土曜日
 僕はぐぅーっと伸びをして、パソコンを閉じた。もう夕方か。
 あれ以来すけねえさんから連絡は来なかったが、書くべきネタが湯水にように湧き出るので僕はその一つ一つを文章にまとめていった。相変わらずタイピング速度が頭に追いつかないものの、10話までコラムを書き進められた。もちろんこの前の浦島太郎事件も収録済みである。
 僕はさささと支度して、猿タコスに向かった。昨日の夜、ミチロウさんに電話して、カマキリさんを呼んでもらっていた。

 「ミチロウさんお久しぶりです。」
 「待ってたよー。さぁ入って入って。」
 「あ、カマキリさんだ!」
 「川村っちー!元気してた?伝説の装備は集まったかしら?」
 「集まりました!レコーダーをオフしてる時にぼこぼこにされたりもしたんですけど、それ以外は順調でした。」
 「あら災難だったわねー。さてさて、早速だけど全部見せてもらっていいかしら?」
 「…はい!」
 僕はカバンから「いじめ三種の神器」を取り出した。カマキリさんはひとつひとつ大事そうに手に取り、不備がないかを丁寧に確認してくれた。よし。おっけ。と小さく呟くたびに、我が子を褒められているかのような気がした。
 この一週間は勉強しに行くでも本を読みに行くでもなく、ただただ証拠を集めるために学校に通った。不思議な毎日だったな。まわりから見れば僕は普通の学生に見えていたかもしれない。でも一日経つごとに僕は自分が自分じゃない、なにかすごい者になりつつある気がした。
 「くさったの日記」にはその日あったことを細かに記した。体調の変化や心境の変化についても、何が原因でそうなったのかをわかりやすく書きとめた。「やったのレコーダー」には毎日一件ずつデータが増えていき、それに反比例して容量が減っていくことが嬉しかった。あの日以来充電を忘れることは無かった。「やられたの物」も着々とたまっていた。大破した自転車、上履きのない下駄箱、スニーカーで教室にいるところなど、証拠として語れそうなものをどんどん写真に収めた。

 来たときにはまだ明るかった窓の外が、すっかり暗くなっていた。
 「はい、確認終了しましたー。疲れた…」
 「カマキリさんほんとありがとうございます!で…どうでした?」
 「…完璧!ぐうの音も出ないわ!」
 パパパーンパンパッパーン。
 「勇者川村は、「いじめ三種の神器」を手に入れた。」
 わぁーっとみんなで盛り上がった。ミチロウさんもカマキリさんも、まるで自分のことのように喜んでくれた。三種の神器を集めたことよりも、よっぽどそのほうが嬉しかった。

 「準備は整ったね。」
 「そうですね。」
 「どうする?遅くなっちゃったし、明日もう一度集まる?」
 「いや、このまま話したいです。決めましょう。作戦を。」
 ミチロウさんはにこっと笑い、カマキリさんはビールを一気に飲み干した。

 ステージ④ダンジョンクリア
 ー「いじめ三種の神器」を手に入れた

 僕はぼうけんのしょにセーブした。

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