企む職員室。[studioあおブログ]

企みつつ、育てています。

太鼓を聞くと悲しくなる

子ども関連のお題に、あたしが好きに答えるコラム連載。今回は「太鼓」

 

「高校卒業したら青年団に入れ。とりあえず体験にこい。」大学に入学したてのあたしに、そんなメールが届いたのは今から9年前の4月。送信してきたのは中学の1つ上の人。今の中学生とかはなんて呼んでるんやろ。不良?半グレ?まぁヤンキーとしておこう。野球の推薦で他県の高校に進んだが、ケガで辞めて地元に帰ってきてみたいな。その道の事務所にも出入りしてるみたいな噂のある人だった。

 

あたしの地元は、大阪は石切という生駒山のふもとにある。神社が有名なその町では夏と秋に、お祭がある。太鼓を叩いて神輿をかつぎ、やんやか町中を練り歩いて最終的に神社へたどり着き大団円。金髪、サラシ、ハッピ、缶ビール、タバコ。群がるギャル、バカ笑い。

 

神輿の担ぎ手である青年団に入れ。その一つ上のヤンキーはあたしにそう言ってきたのでした。あたしの青年団の認識は、「地元に居残るヤンキー集団のコミューン」というもので、その人たちにとってのウッドストックこそが神社でのお祭りなのです。

 

断れど断れど、「いや無理やから。」「命令やから。」と、ロジックレスなメールのやり取りが続き、無視する勇気もなかったあたしは、ひとまず青年団に体験に行ってみることに。そこには太鼓台が一台、サイドを刈り込んだ金髪のヤンキーが数十人、あたしは気圧されていた。「なんでビール冷えてへんねん」と40才くらいの長老ヤンキーが怒号をあげ、罰として若手ヤンキーが丸坊主にされていた。

 

あ、これ、ダメ。

 

帰宅してから入団したくない旨を連絡するも、「いや無理やから。」「命令やから。」と、デジャヴなやりとりが続く。体験ではなく、来た時点で入団することになっていたのでした。

 

結果的に、あたしは青年団のお偉いさんの親に電話して、グダグダのごてごてな辞め方をした。とんでもダサく、情けなく。最後は地元のガストに呼び出されて説教を食らい、額を擦りつけ泣きながらに謝ったのでした。

 

ということがあって、青年団は恐い、地元にはいれない、外に行くしかない、ということで外へ外へと飛び出していったのが、あたしの出イシキリ記。

 

さて今回、「太鼓」というお題をもらったのでこれを機に、地元の何が嫌だったのか、を改めて振り返ることに。青年団が恐い、というのは表層で、本質じゃない気がしていたの。

 

そもそも「神社」「お祭り」みたいな、伝わり伝えていく文化と、地元で生をまっとうするヤンキーというのは食い合わせがいい。地元に生まれ、地元に育ち、幼少期から青年期にかけて築き上げられたヒエラルキーのなかで生活していく。自分もまた地元で結婚し、地元で子どもを育て、その子どもたちがまた地元に根を張って。親から子へ、子から孫へ。そうして神輿の担ぎ手、文化の伝え手が繋がれていく。変化しないと生きていけない世の中がある一方で、変わらない・変えない良さというのもまたあるもんだ。

 

という一般論がある一方で、「いや、江戸時代か。」とあたしは思っていた。藩制度のなか決められた階級のもと穏やかに過ごしていく、なんて考えられないと。小・中と地元の世界で育ったものの、高校で大阪市内に出たあたしは今まで知らなかった面白い人たち、面白い文化にたくさん触れた。大学で京都に出ると、それは加速した。古本屋の隅に平済みされた本の面白さを教えてくれる人。カラオケに入ってないような曲を教えてくれる人。マンガ、映画、落語、旅、パソコン、教育とかとか、外にはあたしの知らないものを知っている人がたくさんいた。

 

それらは決して地元では流行らないモノで。マジョリティにはまらない話題は、「陰キャかよ」で一蹴される。みんなが知っていてみんなが盛り上がるモノこそが至高。「エンタの神様」でお笑いのすべてを網羅している感じ。その精神性がたまらなく嫌いだった。

 

と書いてみたもののどうもしっくりこない。思うに、地元を嫌うことでダサい自分を肯定したかっただけなのかもしれない。説明しよう!

・ヤンキー的マッチョ思考を備えた人物がカーストのトップにいるこの町で、ビビりのあたしは活躍することができない

・じゃあこっちの文法に持ち込めばいい

・あたしの武器はカルチャーだ。サブカルマウントを取って権力闘争しよう

・え?でも向こうはそもそもマッチョカースト下位のあたしとは戦ってないじゃないか

・うーん……はっ!

・やつらは文化的に貧しい人間だ。そんなやつらが巣食う町なんてこっちから願い下げだ

 

なんて哀れな精神性だろう。地元のなにが嫌かという問いの答えが、ひとりよがりの煩悶を自覚してしまうこと、だったとは。と、ここまで考えてみてとうとう着地が見えてきた。

 

地元の水が合う魚とそうじゃない魚がいた。それだけなのだ。つまり地元というのはそういう文化圏で生きるのに適した町であり、あたしは地元の文法に合わなかった。青年団とモメたことで、青年団てきライフスタイルを良しとする地元、をずっと歪曲してとらえていたけど、単純にあたしがかっこいいと思うそれと合わなかっただけ。合わなかったからあたしは外へ行っただけ。そう、それだけなのだ。

 

ふっと軽くなった。このコラムのプロットを考えていたとき、選択肢の多い生活こそ豊かで正しい、と帰結させるつもりだった。イオンモールひとつで生活と余暇が完結する土着的生活を徹底的にこきおろそうと。でもそうじゃないね。

 

これだけ時間が経過すれば、地元が今や外になっている。もう少しすれば夏祭りがある。今年は帰るかもしれない。いや、外へ行くかもしれない。f:id:stud-io:20190728114914j:image