企む職員室。[studioあおブログ]

企みつつ、教育しています。

『“いじめ”がダメな理由を証明する。』教育哲学科 射場康輔

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なんで男の子はスカート履いたらダメ?

まず、考えてみて欲しい。
なんで男の子は学校でスカート履いたらダメかな?

この“校則”って誰の為、何の為に出来たのかな?
この“校則”で誰が幸せになるのかな?
男の子がスカート履いたら、なんでおかしいのかな?

どうだろう?うまく説明できる人、いますか?
みんなも学校で生活していて、なんだか校則っておかしいな?って、思うことがないかな?きっと、こんな校則いらないだろ!って、友達と話したことがあるんじゃないかな。
でも実は校則って、必ず誰かが「学校で起きている問題を解決しよう!」とか、「学校をもっと良くしよう!」と考えて、作ったものなんだ。
だから、意味のない校則なんてないんだよね。

ただ一方で、絶対に正しい校則なんてものもないんだよね。スカートが短い女の子が絶対ダメかな?ピアスを開けている生徒は本当にダメかな?
僕はそうでもない気がする。実際に服装なんかなんでもいいよ!という学校もあるしね。
 これってとっても不思議だよね。ある場所では絶対ダメ!と言われていることが、ある場所では全然いいよ。と言われている。考えて見たらとっても面白くない?僕はそれがとっても興味深いなと思って、
「ダメなこと」について勉強するために大学に行こうと思ったんだ。

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“いじめ”がダメな理由を証明していく。

 ここまで話を聞いて「じゃあ校則なんて守らなくていいじゃん。」って思う人がいるかもしれない。確かに、絶対正しいわけじゃないなら、何で守らなきゃいけないか、わからなくなるよね。
でも、実はその考え方はあまりオススメできないんだよね。

「校則(ルール)なんて守らなくていい」という考え方をしてしまうと、
結果的に”テロ”や”いじめ”だってOKということに出来てしまうんだよね。

「絶対に正しい事なんてないんでしょ。じゃあ、なんでいじめちゃダメなの?」
「なんで人殺しちゃダメなの?」っていう話が成り立ってしまう。
 でも、絶対にダメな事ってあるじゃん。いじめちゃダメじゃん。人殺しちゃダメじゃん。それはきっと、みんななんとなくわかっていると思うんだよね。
でも、きちんと説明するのってとっても難しい。

世の中には絶対ダメな事ってあるはずなのに、絶対正しいルールがないから、
「なんでダメなの?」と言えてしまう。強く否定ができないんだよね。
僕はそこを何とか説明したい。
だから、『絶対ダメな事をダメって証明する』
というのを、僕の大きな研究のテーマとして扱っています。
この研究をするために、関わりの深い“教育哲学”という“教育学”の中の一つの分野を、今勉強してます。

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普通って何?

 僕は教育を受ける中で、“マイノリティー”(少数派)側にいることが多かったから、教育に興味を持ったんだけど、みんなはどうかな?
例えば僕は、小5から受験塾に通ってめちゃめちゃ勉強していたから、学校では超頭良かった。でも、通っていた受験塾では半年連続で成績ビリ。午前中から午後までは頭良いキャラで、夜になると頭悪いキャラ。中学生になると、部活では一生懸命な真面目キャラだけど、アスリート一家(家族が箱根駅伝に出場、アマチュア日本一)の家庭では、「もっと頑張れよ」と自分が怠け者みたいに感じてしまう。
とにかく、教育を受ける過程で“マイノリティー”を感じる事が凄く多かった。

人と違うっていうのはストレスでもあるので、その時はみんなと同じになろうとよく思っていた。
こういう時にこれを言ったら“普通”かな、こういう行動したら“普通”かな。って。

 でも、人と違う事は事実だから、心の中では普通じゃない自分を受け入れようともしてた。
なんで“普通”じゃなったら嫌な気分になるの?
そもそも“普通”って何?
誰が決めたの?

そうやって、小中9年間ずっと「“普通”って何か?」を考えていた。

そしたら、高校生の時に、先生が“普通”って言葉をよく使ってることに気づいたんだよね。「“普通”の人はそんなことしない」「“普通”は宿題してくるでしょ。」って。

その時に気付いた。
もしかしたら、自分がおかしいんじゃなくて、教育全体が“普通”を創り上げていて、自分はたまたまその中にいないだけなんじゃないか。
そう思い出したら、教育が創り出す“普通”ってなんなんだろう。って関心が湧いて来て、教育学について学んでみよう、って思ったんだよね。

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“言葉”でいじめを乗り越える。

 さっき、『絶対ダメな事をダメって証明したい』って言ったじゃん。でも、このテーマって実は研究者の世界では論文のテーマにならないんだよね。
“いじめがダメ”を例にすると、
いじめの暴力的な所がダメなのか?
いじめの言葉がダメなのか?
いじめって一言で言っても色んな側面があるから、そこまで具体的にしないと論文は書けない。
 なので今は、“言葉”に特に注目して、
言語ゲームと道徳的教育』という題で論文を書こうとしてるんだけど、ちょっとこれだけじゃあ、分かりにくいよね。笑
 例えば、いじめで「お前キモイ」って言われたとする。その言われた人は「キモイ」って言葉にショックを受けてしまうと思うんだけど、
でも、「キモイ」って言葉にも色々な意味や使い方があるじゃん。
最近は、「キモかわいい」って言葉が流行ったように、必ずしも悪い側面だけじゃなかったりもするんだよね。

 だから、自分の中で「キモイ」の言葉の定義をする事で、
キモイって言われた時に少し楽になるんじゃないか、と思って。これって、実はいじめの根本の解決にはなってないんだけど、
『“言葉”の定義を自分でする事が、その子がいじめを乗り越えられる材料になる』
って思ってて、そういう風なところから、
善悪の基準ってものが“言葉”に凄い影響をうけてるんじゃないか、
どういう風な影響をうけているのか、っていのを追求していこうと思ってる。

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自分がどう思うか?が勉強の全ての始まり。

今から、みんなは色んな事を勉強していくと思う。色んな知識もつくと思う。偉い人の考え方や先生から習ったこともとっても大切なのは事実。
でも、それ以上に、「自分がどう思うか?」を大切にして欲しいと僕は思う。
自分が疑問に思った事、おかしいと思った事が勉強の全ての始まりだと思うんだよね。

これからも、僕は自分が最初に疑問を持った“普通”を解明していきたい。
そして、『"いじめ"がダメな理由を証明』していきたい。
 その為に、大学院に進学する予定です。教育の最先端でイギリスにあるロンドン大学か、日本の京都大学大学院。教育を研究した後は、社会で働くか、研究者になるかもまだ決めてないけど、今後も教育を研究していきます。





 
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射場康輔
京都大学 教育学部 教育哲学科

 1995年8月生まれ。神奈川県横浜市出身。公立の小学校に六年間通い、小学五年生の時から学習塾に通い始め、中高一貫の私立男子校へ進学。中学三年生の時にはカナダ、高校一年生の時にはオーストラリアに一か月短期留学。大学進学は、周りの友人も東京の大学に行く事もあり、環境を変えたく京都大学へ。大学三年生の時にはトビタテ留学プログラム日本代表になり、フィンランドヘルシンキ大学に留学。今後は、大学院進学を視野に入れて研究をしている。