企む職員室。[studioあおブログ]

企みつつ、育てています。

『いじめRPG』第4章 おで好青年 左子光晴

おで好青年

 ステージ①最初の村:初期装備と初期パーティーを手に入れる
→弱みの中から比較的コントロールが簡単なものを改善する
→助けてくれる人には全力で頼る


 「今日は最初の村だ。ということで初期装備と初期パーティーを与えるよ!」
 「はい…あの、お願いします。」
 「という前置きであれなんだけど、これにはちょっと心苦しい話がありましてですね…初期装備として川村くんの弱みをその、ちょっと改善したいと思ってまして…で、どれを改善するかと言いますと、ええとその…」あのミチロウさんが言葉選びに窮していた。
 「あえて厳しい言い方をすると…なんていうか、その、今の川村くんは…その、いじめられても仕方ない見た目をしているというか…」
 ぐ…ぐぬぬ…自分でも不気味だと思っていたが、面と向かって言われるとこたえる。いつもはっきりと物言いするミチロウさんが口ごもるくらいだから、僕の見た目はよっぽどなんだろう。だって…
 「あ、今言い訳考えてたでしょ?」
 「だって…だってそんな見た目のことを言われたって、仕方ないものは仕方ないじゃないですか。そりゃかっこいい顔に生まれてたら、僕もこんなことにはなってないし…もっと恵まれた体格だったらいじめられなかったと思うし…それにファッションなんてわからないし、そんなお金も無いし…」
 「あ、違う違う!そんなべらぼうに変える必要はないんだよ!ここでの目的はステージ②の酒場に最速で出ることなんだ。そのためには初期装備、つまり自信のきっかけを手に入れることが必要なんだ。」
 「きっかけですか?」
 「人間ってね、何か一つに自信を持てれば、あとはすごい速度で変わっていけるんだ。でもその最初のとっかかりを見つけるのがなかなか難しい。だから今川村くんがコントロールできるもののなかで、最速かつ低努力で自信をもてるものは何かなと考えた。」
 「コントロールできるものってどういうことですか?」
 「川村くんは弱みの項目に、―友達がいない。見た目が不気味。運動神経がない。はきはきとしゃべれない。おどおどしている。自分の意見を言えない。空気を読んだ行動ができない。-って書いてくれてるよね?」
 「は、はい…」
 「友達がいないというのは相手のいることだからアンコントローラブルなものなんだけど、それ以外はすべてコントローラブルなもの、ってことは理解できる?」
 「つまり自分自身でどうにか変えられるってことですか?」
 「その通り。じゃあこの中で、すぐにでも変えられそうなことは何かな?」
 あ、そういうことか!運動神経なんて一生かかっても無理だと思う。はきはきしゃべったり、おどおどしたり、自分の意見を言うのもなかなか難しい…
 「見た目…ですか?」
 「お見事!ボクはそこに目をつけた。ちなみに空気を読んだ行動というのも、空気という言葉の正体を理解できれば比較的簡単にレベルアップできるんだけど、それもまた追々話すよ。」

 「あのもう一つ質問いいですか?弱みってあったらいけないんじゃないですか?全部克服しなきゃいけないと思うんですが…」
 「弱みなんてのは相対的なものだから、人間誰しも持ってるものなんだよ。誰から見てもイケメンって呼ばれてる人も、他の人と比べたときに学歴がない、とか、年収が低い、とか弱みを抱えてたりする。そんなことよりも自分の強みを伸ばしていくことに時間をかけたほうがいい。」
 「どうしてですか?」
 「強みを伸ばすと唯一無二のキャラクターになれるんだ。」
 「唯一無二のキャラクター…」
 「簡単な話で、弱みはどれだけ努力してもたぶん人並みにしかなれない。だけど強みは努力すればまわりが追いつけないただ一人の存在になれるんだ。たくさんの要素で平均を手に入れるよりも、たくさんの要素が劣っていても何か一つ極めるほうが、キャラクターとしての市場価値は高い。」
 「なるほど。」
 「市場価値はイコール自信だと思ってもいい。要するに強みをガンと伸ばせば自信レベルをがんがん上げられるという話。」
 「思っていた以上によく考えられている…」
 「あれ、しれっと失礼なこと言った?まぁとにか川村くんの強みを伸ばすには時間がかかると思ったから、今日のところは、簡単に変えられる弱みをレベ…」」
そのとき猿タコスのドアが開いた。きらびやかな、明らかに一軍の人間が近づいてくる。僕は咄嗟に目を背け、ミチロウさんを不安そうに見つめた。
 「ちょうどよかった!やっぱりこういうのは専門家に任せるのが一番だね!」
 「なんの話すか?てかひどいすよミチロウさん。オレにも仕事あるんすから!」
 「ごめんごめん。あ、紹介するね。ええと…あ、もう自分で自己紹介して!」
 「いや、適当!もうちょっと大事にしてくださいよ!」そう言って一軍の人は僕を見た。ま、まぶしい。
 「あ、オレ中川って言います。美容師とか、まぁいろいろしてます。ミチロウさんには学生時代にすごいお世話になって、今でもよくここに飲みに来てて。」
 「は、はぁ…」
 「今日は川村くんの髪を切りに来ました。」
 「は、はぁ……はぁ?」
 「夜中3時頃かな?珍しくミチロウさんから電話があってさ。髪切って、13時にうち来て、って。」
 「そんな言い方してないじゃーん。」
 「いやいやいや、ミチロウさんこの猿タコスメンバーの中で、オレのことだけ邪険に扱うじゃないすか!」
 「そんなこと言うけど、ほんとはこういう扱いが嫌いじゃ?」
 「ない!」
 「こういう扱いがおいしいと思って?」
 「る!ってやめてくださいよ!」
 二人は長年の友達のように話し始めた。中川さんは20代半ばくらいのオシャレな明るい人だった。長めの髪の毛は真ん中で分けられていて、ゆるくパーマがかかっていた。両耳には輪っかのピアスがついていて、細身の身体に白のポロシャツを着ていた。黒の細身のジーパンに黒と白のスニーカー。近づくとものすごく良い匂いがした。
 卑屈な気分になった。存在するだけで、見下されているような気分になる。僕は軽蔑をこめてオシャにいさん、と心の中であだ名をつけた。僕とは一生関わることのないような一軍の人種。この人がミチロウさんの言ってたパーティー?無理すぎる…

 「あ、あの…」
 「あ、ごめんごめん!勝手に進めるのは悪いなと思ったんだけど、最速・低努力で変えられるものは髪形かなって。それなら中川くんに助けてもらおうと思って今にいたる、みたいな。」

 ミチロウさんは楽しそうだった。僕はどうもオシャにいさんが好きになれない。
 「外見を変えればね、人って変われるんだよ。あ、これ見る?」
 オシャにいさんは一枚の写真を取り出した。そこには今とレイアウトが少し違う猿タコスが映っていて、中央には僕と同レベルに暗い学生が写っていた。わかめのようにウェーブした髪の毛が両目を隠している。ニキビでコーティングされた頬は赤みを帯びていて、うっすら笑う口元が不気味だった。はち切れんばかりのお腹でベルトが見えない。
 「あ、それオレね。」
 「え?これオシャにいさん?」
 「オシャにいさんってオレのこと?」
 「あ…あーすいません!!あの、なんていうか、その…」口が滑った…
 「オシャにいさん面白いじゃん!これから中川くんはオシャにいさんでいこう!」ミチロウさんが笑う。
 「いや、まさか26にもなってあだ名がつくとは思わなかったわ。川村くん面白いね!オレきみのこと気に入ったよ!」オシャにいさんも笑う。
 頬が真っ赤になっていくのがわかった。でも不幸中の幸いで、ミチロウさんもオシャにいさんも笑ってくれた。僕を中心に場が盛り上がっている。こんなの初めてだ。僕はオシャにいさんを少し好きになり始めた。
 「で、この写真はオレが高2の頃だったかな?川村くんも清水高校だよね?オレもあそこの卒業生なの。」
 「え、この写真…あの、ほんとに同一人物ですか?」
 「オレだよオレ。猿タコスに通ってオレは人生変わったの。ていうかミチロウさんに出会ってなかったら死んでたかもねー。」
 ミチロウさんは口を開いた。
 「なかが…あ、オシャにいさんもね、昔いじめられてたんだよ。でも見た目を変えて、考え方を変えて、いじめに立ち向かって、どんどん自信をつけていった。面白いのはここからで、自分のいじめ体験をまとめたブログがすごいバズってさ、そのブログを見ていた資産家の人がきみの夢を応援したいって言って、今オシャにいさんは美容院を3つ経営してるんだよ。」
 「経営って、社長ってことですか?」そんな物語の世界のようなサクセスストーリーがほんとにあるんだ。
 「まぁいちおね。でも今でも現場に立って髪は切るから、まだ腕は衰えてないよ!」
 「オシャにいさんの夢って?」
 「人に自信を与えることかな。人は自信を持てれば変われるんだ。見た目を変えれば違う自分になれる。だから外見を変える手助けをして、人に自信を与えて生きたい。それがオレの夢。そんなわけで川村くんの話聞いたらオレにも何かできるんじゃないかって思ってさ。」
 
 オシャにいさんの目はキラキラしていて、僕が知っている大人のそれではなかった。僕とたかだか10才くらいしか変わらない。10年後にこんな人になれるのだろうか?とてもじゃないが無理だ。僕とオシャにいさんではあまりにも持っているものが違いすぎる。
 「で、どんな髪型にする?」
 「え、あの、ほんとに切るんですか?」
 「それは川村くん次第だけど。でも少なからず今の川村くんはちょっと…」
 「…ぶ、不気味、ですか…?」
 「まぁそうだね…その言い方と相まって不気味さ倍増だね。」
 「あの…余計にいじめられないですかね?雰囲気変わったりしたら…」
 「人ってね、ほとんどを外見で判断してるんだ。もちろん深く関わればその人の内面や人間性も大事にはなってくるんだけど。見た目が9割って聞いたことない?」
 「い、いえ。」

メラビアンの法則ってのがあってね。まぁ実際9割ではないらしいんだけど、人を判断するうえで視覚情報ってのは大半を占めるんだよ。だから極端な話、川村くんがものすごい面白いことや、すごくいい話をまわりにしたとしても、ビジュアル面で整っているいじめっ子たちのくだらない下ネタのほうがウケたりするんだよ。それってすげーもったいなくない?」
 「そうですね…でも髪型って言われても、僕そういうのわからなくて…」
 「じゃあとりあえずおでこ出すか!」
 「い、いやいや!それは急すぎるというか、それはどうなんでしょ?絶対似合わないと思います…」
 「似合う似合わないはほとんどが見慣れてるかどうかの問題と思うんだよね。それにね、おでこを出すといいことがあるんだよ。」
 「なんですか?」
 「うちに来るお客さんで有名商社の営業マンがいてね、この人がまたものすごい話のうまい人なのよ。さぞ成績いいんだろうなって思って聞いたら、それがそうでもない。詳しく聞いてみると、第一印象があまりよくなくて、お客さんと関係を築くまでにすごい時間がかかるから、その間に他の会社に先を越されることが多いって言うんだ。それから心理学の本なんかを買って読んでみると、前髪が長いと暗い印象や怖い印象を人に与えるらしくて、そう言えばその人、おでこが広いからいつも隠してくれ、ってオーダーしてきてたのね。」
 「なるほど。」
 「で、次その人が来たときに思い切って、おでこ出しましょって提案したの。したら最初は戸惑ってたんだけど、もう任せるよ、って言われてさ。おでこ出したらすげー明るい印象になって、それから営業成績ぐんと上がってその部署でトップになったんだって。」
 「前髪切るだけでですか?」
 「いや、勿論元から話はうまかったし、それから努力もしたと思うんだけど、第一印象で前向きななイメージを与えることができたんだって。てなわけで、印象ガラッと変えてみるのはいかがでしょ。」
 「うーん…もう、オシャにいさんに任せます!」
 「任せますいただきましたー!ありがーす!じゃあ準備するね!」
 「あ、あの…ここに来てあれなんですが、散髪代っておいくらですか…?」
 「ミチロウさんに請求するからいいよ!」
 「ちょっとオシャにいさーん!」ミチロウさんが困った顔をする。
 「そのオシャにいさんってのやめてもらっていいすか?絶対無理してるし!」
 「ちょっと、なかが…オシャにいさーん!」
 「いや、途中まで中川って言えてたじゃないすか!なんでわざわでしっくりきてないあだ名を無理して言うんですか!」
 「似合う似合わないはほとんどが見慣れてるかどうかの問題と思うんだよね。」
 「いや、名言風にいじるな!で、そんな渡部篤郎みたいな言い方してないすから!」

 僕もあんな風に話ができたら、きっと楽しいんだろうな。クラスのやつらはバカしかいないと思っていたが、いざ話してみたらそうでもないのかもしれない。先入観をなくし、話してみたら案外慣れるものなのだろうか。
 いつから髪を切ってなかったんだろう。僕は小さい頃から父さんにしか切ってもらわなかったので、かれこれ2年ぶりだろうか。

 

 「だいぶ伸びてきたなー。そろそろ切るか!」
あまり伸びていなかったが、父さんがそういうんだから伸びたんだろう。僕はいつも通り、鏡と椅子を庭に運んで父さんを待った。
 梅雨が明けようとしていた。その日は久しぶりのぽかぽか陽気で、日差しがあたたかく、そのうえ優しい風が吹いていてとても気持ちよかった。

 中学校に入って1年と少しが経っていた。僕は少し背が伸びたものの、クラスのやつらはまだまだ大きくて、一番前は僕の不動のポジションだった。
 父さんがなかなか来ないので、庭からリビングを見るとなにやら母さんと話をしていた。今思えば、このとき母さんはすべてを知っていたんだろう。

 少しして父さんがやってきた。
 「ごめんごめん待たせたな。」
 「いいよ。すごく天気が良くて、今日は気持ちが良いんだ。」
 「そうだな。髪切ったらみんなでごはんでもいこうか!」
 「僕あの喫茶店に行きたい!」
 「じゃあ母さんも連れていつものとこ行くか!」
 「古本屋にも行きたいな。その間母さんはどうしようか?」
 「なに、母さんには何も言わせないよ。今日は好きなだけ本買ってやる。」
 「えらく気前がいいですなー。何かあったの?」
 「ん?うん、まぁな!」
 父さんはそう言ってハサミを動かし始めた。ジョキジョキという小気味良い音だけが聞こえていた。

 「母さんってどんな人だと思う?」
 「なに急に?どんな人って…怖い、厳しい、うるさい!」
 「母さんな、ああ見えてすごく弱い人なんだ。父さんが俊樹に対してあまり言わないから強く振舞ってるけど、ほんとはそうじゃないんだ。」
 「ふーん。母さんと父さんってさ、どこで知り合ったの?」
 「母さんとはあの古本屋で知り合ったんだ。」
 「えぇ?そうなの?」
 「父さんが大学生の頃だ。当時母さんはあの古本屋でバイトしててさ。かわいいなーとは思ってたけども、声をかける勇気も無かったし、飯代をけちって本を買うくらいに貧乏学生だたからどこかに連れ出すこともできなかった。」
 「なんか恥ずかしいな、こういう話。」
 「まぁまぁ。で、その日も父さんはろくに何も食べず古本屋に行った。本を選ぶふりをしながら母さんをずっと見てたらさ、急に視界がかすみ始めて、父さんはその場でぶっ倒れたんだ。」
 「え、どうなったの?」
 「気がつくと布団の上で寝転がってた。あの古本屋の二階にいたらしい。ここどこだーって思ってたらふすまの開く音がしていい匂いがした。ゆっくり視線を向けると、お皿を持った母さんがそこにいたんだ。母さんは心配そうにこっちを見ながら、カレー食べます、って言ってくれてさ。」
 「カレー?お粥とかじゃなくて?」
 「そう、カレー。なぜかカレーだった。母さんも母さんでおかしかったけど、父さんも父さんでおかしくて、何を思ったかその場で告白したんだ。」
 「え?なにそれ?」
 「母さんはびっくりしてカレーをこぼした。あつあつのカレーが父さんにぶっかかる。母さんはごめんなさいごめんなさいって謝ってさ。」
 「それでそれで?」
 「なんだかんだで母さんはもう一杯カレーを持ってきてくれて、父さんはそれを流し込むように食べてさ。で、ごちそうさまって言ってその日は帰った。」
 「え、帰ったの?告白の結果は?」
 「それから当分気まずくて、古本屋に行かない日が続いた。でもしばらく経つと読む本がなくなった。さぁどうしようかと。気まずさをとって本を我慢するか、気まずさを我慢して本をとるか。」
 「別の古本屋に行けばいいんじゃなかったの?」
 「おいー。そういうの言うなよー。冷めちゃうだろ。で、父さんは気まずいの覚悟であの古本屋に向かったんだ。そしたらその日もレジに母さんがいた。父さんは適当に本を選んで、タイミングを伺いながらレジに向かった。そこでこの前のお礼を言ったんだ。そしたら母さんは、よかったらこのあとお茶でも行きませんか、って言ってくれてさ。ポケットに手を入れたらきっちり本代しかお金が無くて、父さんは本をキャンセルして母さんとあの喫茶店に行った。で、改めて付き合うことになったという。」
 「へー。父さんそんな貧乏だったんだね。」
 「いや感想そこか?」
 父さんは笑った。僕も笑ったぽかぽかの昼下がり。

 「あのさ、明日から検査入院することになった。」
 「検査?なんの?」
 「うーんよくわからないんだけど、この前の健康診断でひっかかっちゃってさ。」
 「ふーん。」
 「…もしだよ。もし父さんが死んだら、そのときは母さんのこと頼むな。」
 「なに、死ぬの?検査入院でしょ?」
 「いや、すぐにとかじゃなくて、順番的に先に死ぬのはオレだろって話。そしたらって母さん頼むなって話。」
 「無理だよ無理。」
 「別に友達がいなくても、いろんなことが不器用でもいい。俊樹には強い人間になってほしい。それが父さんの願いだ。」
 「…強い人間って?」
 「それは俊樹が考えるんだ。さぁ完成!」

 髪はいつもより短く切られていて、あまり似合っていなかった。
 父さんはそれから3週間後に死んだ。本当は末期の肺癌だったらしい。享年38才。通夜、葬式が終わり、あんなに大きかった父さんは小さな木箱におさまるサイズになった。
 保険に入っていたそうで、それから少ししてまとまったお金が入った。しっかり死ぬ準備してたんじゃないか。
 二人で住むにはこの家は大きいということで、一軒家も売り払い、母さんの実家近くの小さなマンションに引っ越した。父さんの書斎にはたくさんの本があって、母さんは置いといても仕方ないよね、と言ったが、僕は絶対捨てないと言ってすべての本をダンボールに詰めた。
 一通りの手続きが終わって引越しも済んだ頃、父さんの予言?通り、母さんは弱い人になった。
 僕を認めてくれる存在がこの世から消え、僕は一人ということに気がついた。強い人間にならなくてはいけなかった。

 

 足元を見るとごっそり髪が落ちていて、ある種のジャパニーズホラーだった。鏡が無かったので今自分がどうなっているかはわからなかったが、鼻までかかっていた前髪はざくざくと切られ、猿タコスの店内はこんなに明るかったのかと初めて知った。
僕が散髪、散髪、と言ってたら、ちょっとダサいからカットって言おうか、とオシャにいさんにたしなめられた。散髪は散髪だろう、と思ったけど、たしかに”オシャにいさん”ってあだ名に”散髪”はしっくりこない。ミチロウさんはタバコを買ってくると行って店を出ていった。
 二人になった僕は、そう言えばと思い出し、オシャにいさんに、昨日は3時に電話があったんですよね、と尋ねた。

 「ミチロウさんね、川村くんに期待してるみたいだったよ。」
 「どういうことです?」
 「面白い子がいるんだけど、ちょっと乗るべき線路が違うから、きゅっと方向を変えたい。うまくいけば中川くんよりも面白いことになりそうって。」
 「いや、そんなことないですよ。僕みた…」いな人間、と言いそうになったので、僕は言葉を選び直し、「僕は自分が面白いなんて思ったことないです。面白いことは一つも言えないし…」と答えた。
 「たぶんそういうことじゃないんだと思う。ミチロウさんってなんか独特の嗅覚があってね、面白感知器がついてるんだって。で、そのセンサーにひっかかった人は、たいがいその道で活躍するんだって。まぁオレもその一人らしいんだけど。」オシャにいさんは照れながらそう話した。僕がオシャにいさんと同じようになる?ていうかオシャにいさんよりも活躍する?にわかに信じ難い。
 「まぁとにかく川村くんには期待してるみたい。夜中3時に電話してくるってことは、睡眠時間削ってでも川村くんをどうにかしたいと思ってるってことだからね。オレが尊敬するミチロウさんがそれだけ気にかけてるんだから、そこは自信をもてばいいと思うよ。まぁオレとしては、きみに越えられると聞いてちょっと癪だったんだけどさ。」
 いろんな大人が助けようとしてくれている。もう僕みたいな人間、というのは止めよう。ワクワクしている自分がいた。
 カットが終わり、ドライヤーをあてられているときにちょうどミチロウさんが帰ってきた。
 「どんな感じに仕上がった?」
 「ミチロウさんちょっと待って。そこで待機!あと眉毛整えて髪をセットするからまだ見ないで!」
 「は、はい!」あのミチロウさんが恐縮している。
 オシャにいさんは電動の小さな機械を取り出して僕の眉をさささとなでた。いい眉の形してるね、と言ってくれた。人に褒められるのなんていつぶりだろう。
 ワックスというベタベタするものを髪に塗られて、最後にカウンターに置いてあるおしぼりで顔をぐっと拭かれた。正面からオシャにいさんにのぞきこまれる。恥ずかしくて僕は目を背けた。
 「いい…すごくいい!完成!ちょっとトイレで鏡見てきな!ミチロウさんはまだそこで待機!目閉じて!ハウス!」
 僕は不安と言うか興奮と言うか、自分でも抱いたことのない感情でトイレに向かった。トイレに入るのに緊張するなんて人生で初めてだった。というか鏡を見ること自体、ここ数年ずっとしていなかった。自分の不気味な顔を見るのが嫌で、普段から鏡を見ないことにしていた。
 扉を開ける。正面に鏡があることは知っている。ゆっくりと顔を上げ、鏡をのぞきこむ…

 「ワァーーーーーーーーー!」
 「大丈夫?え、やばかった?切りすぎた?」扉の向こうからオシャにいさんの心配そうな声が聞こえた。
 僕はトイレから出て、心配そうなオシャにいさんの顔を見た。
 「これが、僕ですか?僕、こんな顔してたんですか?」
 鏡には、自分でいうのもあれだが、好青年というか、元気そうな16才の青年が映りこんでいた。ワックスをつけられた前髪は、重力に反して持ち上がりおでこが見える。横側と襟足は短く刈り上げられてすーすーしたが、触るとジャリジャリしててとても気持ちが良かった。
 「お!いいじゃん!すげーいいじゃん!スラダンの仙道みたい!ていうか川村くんこんな顔してたんだね。」
 「っすよね!川村くんが思っている以上に、顔整ってるよ!ひいき目なしでかっこいい部類だと思うよ!」
 「だよね。素材がいいよね。いやー川村くんいいなー。川村くんがいい!」
 「いや、おれの腕も褒めてくださいよ!」

 「オシャにいさんって言って褒めてるじゃん!」
 「だ・か・ら!」
 みんなで笑った。僕はうまく笑えてただろうか。僕はそれから何度かトイレに行って鏡を覗き込んだ。これが僕。これがいじめられっ子の僕。
 ミチロウさんはパソコンを開き、なにやら作業し始めた。なんだと思っていたら、店内の音楽が止まり、パパパーンパンパッパーンと音が鳴った。
 「勇者川村は、レベルが3になった。装備“おで好青年”を手に入れた。」
 僕とおしゃにいさんは顔を見合わせた。演出、ネーミング、すべてが絶妙にダサい…しかしドヤ顔のミチロウさんに対して、僕たちは何も言える気がしなかった。あとでオシャにいさんから、あれがドラクエの音だということを教えてもらった。


 オシャにいさんはその後ワックスをプレゼントしてくれて、セットの仕方を教えてくれた。
 何気なく裏面を見ると2300円と書かれていてぞっとした。店前の100円コーナーの古本なら23冊買えるじゃないか。
 「あ、あとね、川村くん姿勢悪いの直そうか。簡単なことだけど、胸を張るだけでアピアランスが全然違うから。」
 僕はものすごい猫背だ。机にうつ伏せて本を読む癖があるからそうなったと思っていたが、
 オシャにいさんいわく、自信がない人は共通してみんな姿勢が悪いらしい。自信のなさが姿勢に出るとのことだ。
 僕は胸を張ってみた。バキバキと背骨が鳴って痛みが走ったが、それ以上に目線が高くなったことに驚いた。何かわからないけど、自分が大人になった気がした。
 「いいじゃん!たぶん背筋とかもないと思うからしんどいと思うけど、意識的に胸張って過ごす習慣をつけてみ…」
 「痛っ!いたたたたた!」嘘みたいなタイミングで僕は背中がつった。筋肉がつるというのも人生で初めてで、今日は初めてなことばかりで頭が追いつかないや。そんな僕を見て二人はまた大笑いした。
 オシャにいさんは仕事があるとのことで、じゃあいくわ、と言って店を出た。僕はお礼を言えてないことに気づき、オシャにいさんを追いかけた。
 「あ、ちょうどよかった!もう一つプレゼントがあったんだった。まぁプレゼントって言っても、サイズ合うかわかんないし、オレが履いたやつなんだけど。あ、でも履いたって言っても数回だし、うんことか踏んでないから!よかったらこれ!」
 そう言ってオシャにいさんはJack Purcellと書かれた黒と白のスニーカーをくれた。オシャにいさんいわく、ニルヴァーナトイウバンドノカートコバーントイウヒトが履いていたらしく、オレの一番好きなミュージシャンだ、と教えてくれた。
 「Thank you for the tragedy. I need it for my art. こうしてオレと川村くんが会えたのもいじめのおかげだ。いじめに感謝する必要はないかもだけど、きみが思うきみなりのアートをつくってやれ!」
 そう言ってオシャにいさんは去っていった。遠ざかるオシャにいさんの背中に向かって「ありがとうございました!」と大きな声で言うと、オシャにいさんは振り返ることなくすっと右手を上げた。“か、かっこいい”と僕が思っている、とオシャにいさんは思ってるんだろうなと想像すると、笑いがこみ上げてきた。でもほんとにオシャにいさんはすごくかっこよかったんだ。
 僕はその場で靴を履き替えた。少しぶかぶかだったが、靴底がなくなるまでこれを履いてやろうと思った。店までの数歩、僕は自然と胸を張って歩いた。

 

 その日も夕方に家に帰った。母さんは僕を見て、どちらさまですか、と言った。母さん僕変わるよ、とは言えなかったが、僕はミチロウさんの真似をしてにこっと笑い、「ただいま」と言った。ちゃんと相談するから。来るべきときが来たら話すからね。

 

 

ステージ①最初の村クリア
ー自信レベルが3になった
ーオシャにいさんがパーティに加わった
ー装備「おで好青年」と「ジャックパーセル」を手に入れた
僕はぼうけんしょにセーブした。

f:id:stud-io:20190217150834p:image