企む職員室。[studioあおブログ]

企みつつ、育てています。

「ヒトの研究」のコツとは!?栄養学の先生をお呼びして、研究という青春をお届けする「bro」を開催しました。

「研究って、こんなにおもしろいことなんだ!」
「○○の研究するために、この大学に入りたい!!」
研究という青春を子どもたちにお届けするために始まった、「bro.」という授業。
毎月1回を目安に、さまざまな分野の研究者・プロフェッショナルの方をお呼びし、研究内容についてお話しをしてもらいます。


今回お呼びしたのは、大学で栄養学を教えている河嶋先生。
「こんなことを明らかにしたいときには、どんな研究をしたらいいと思う?」

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「こうやったらいいんじゃないかなあ」
今までの経験や知っている知識から、研究方法を考える生徒たち。脳みそフル回転です。


メモメモ✎f:id:stud-io:20190226170521j:plain
「なるほど~」と、自分なりにかみ砕いて、自分自身の力にしていきます。


情報があふれていて何を信じたらいいかよくわからない現代において、データをもとに正しい情報を答えてもらえるという絶好の機会です。親御さんたちからも、素朴な疑問があがりました。

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子どもたちの成長には、毎日の食事から採る栄養って、とっても大切。
食品添加物って……」「○○の時に採るべき栄養素は……」
そんな疑問にもお答えいただきました。

 

studioあおでは、日々ジャンルの異なる研究が行われています。
・太った人が浮くのはなんで?
・世界最強の生き物ってなに?
・難攻不落の大阪城を攻め落とすには? etc......
生徒たちは自分たちで問いを設定し、研究を進めていきます。ですが、どのようにアプローチしたらいいのか、最初からはっきりしているわけではありません。色々な方法を試して、一番うまくいく方法を見つけます。
仮説をたてて、試して。今回、ヒト研究のさまざまなアプローチ方法を学んだ生徒たちは、これからどんなふうに自身の研究を進めていくのでしょうか。(楽しみ!)

 

河嶋先生の大学のゼミでは、ゼミの生徒さんが「炭酸水の強度が食欲に及ぼす影響」についての研究を行ったとのこと。f:id:stud-io:20190226170826j:plain普段の生活で学生が感じた素朴な疑問が、研究に発展したそうです。(万年ダイエッターのわたしにとっては、非常に気になる内容……)

研究の材料になる「問い」は、日常のいたるところに隠れているもの。小さな疑問を大切にしていきたいものです。

『いじめRPG』第5章 エアーリーディング 左子光晴

エアーリーディング

・ステージ②酒場:自信レベルを上げる
→弱みを克服しつつ、強みを生かす方法を見つけ、どんどん強みを伸ばしていく

 9月14日 金曜日
 朝目覚めると僕は、真っ先に洗面所に向かった。
 オシャにいさんが教えてくれた通り、髪の毛を濡らしてからタオルで軽く拭き、ドライヤーで髪を乾かして、少し濡れている状態にした。次にワックスを10円玉ほどの量を取り、手全体に馴染ませる。後頭部から頭頂部にかけてもみこみ、最後に手に残っているワックスで前髪を上げた。
 鏡に映る自分を見る。夢じゃない。これが僕なんだ。
 10分は格闘した。山口たちは毎朝こんな国家一大事業をしているのか。憎むべき相手だが、尊敬の念が生まれた。悔しい…明日からもこれをやるのか…大変だなー、と口に出してみたが、言葉とは裏腹にドキドキしている自分がいた。
 振り返ると母さんがいて、かっこいいじゃん、と言われた。僕は「別にそんなんじゃないよ」と言って部屋に戻った。昨日も僕は何度も洗面所に向かった。足音を消して息を殺し、母さんに見つからないように移動するのはなんともスリルがあった。
 着替えて朝食を食べ僕はいつもの時間に家を出た。どうやらワックスは服を着替えてからつけたほうがいいことを学んだ。肌着を着ると髪がくずれる。セットは奥が深い。

 電車通学にも馴れてきた。だけど昨日までと世界の見え方が違っていた。
 外は、顔を上げなくても意外と安全に歩けるものだ。黄色の点字ブロックと、白の白線、それに前の人の足元を見ればなんとかなる。みんなが僕のことを見て笑っている気がして、それがたまらなく苦痛だったから。だから僕はほとんどまわりを見ない。ひたすら道路を睨み付けていた。
 たとえば曲がり角から車が出て来たり、たとえば上空から鉄骨が落ちてきたとしても、それはそれで受け入れようという心構えがあった。もういいじゃんって。
 だけど今日は違った。オシャにいさんの言うとおり、僕は胸を張って歩いた。
 玉創駅は思っていたよりもすごく新しい建物だった。こんなところに洋食屋があったんだ。ここが山口たちが行くカラオケかな?いつもの道が、いつもの道じゃなかった。空はこんなにも青くて、太陽はこんなにも眩しかったんだって。

 猿タコスに着くとミチロウさんがにこにこと僕を見つめた。「似合ってんじゃん。」そう言って、お湯を沸かし始めた。
 「今日はステージ②の草むら。次が魔王の城だからここで、できるだけ自信レベルを上げておきたい。」
 「よろしくお願いします。」
 「見た目の次に手っ取り早く解決できそうなのはコミュニケーション課題だね。」
 「コミュニケーションですか?」
 「弱みのところに、空気が読めないって書いてたよね?」
 「はい、まぁ…そうですね。」
 「じゃあその空気を読むという言葉の、空気の正体はなんでしょう?」
 僕は唐突な質問に、うぐっとなったが、一呼吸置いてミチロウさんが言わんとしていることを考えた。
 「空気は、なんていうか場の雰囲気みたいな…」
 「いいよ。いい線いってるよ。じゃあもう少し踏み込んでみよう。川村くんが空気を読めないって感じるのはどんな時?」
 「集団での行動ができないんです…みんなが盛り上がってるときに、僕だけ本を読んでるとかありますね…」
 「それはどうして?」
 「今までは一人で本を読むのが心地よかったから混じりたくなかったんです。誰にも邪魔されたくないと思っていて。」
 「なるほど。」
 「でも一度輪に入ろうと試してみました。そしたら会話の内容が全然わからなくて…わからないから僕は本の話をたくさんしました。そしたら、興味ないんだよ。空気読めよ、って言われて…僕は自分が空気読めない人間だということを初めて知りました。それからはもう人と関わるのは止めようって…」
 「そっかー…ちなみに学校のみんなはどんな話をしてるの?」
 「昨日見たテレビの話とか、Youtubeのあれが面白いとか。僕はそういうのまったく興味が無くて…」
 「興味が無いから見ない。そして会話の内容がわからないから共通の会話ができない。なるほど。ちなみにテレビとかYoutubeとかは見たりするの?」
 「見ないですね…」
 「どうして本以外には手を出さないの?」
 「…わからないです…なんて言うか、わからないけどずっと本しか読んできませんでした。」
 「本以外に触れる機会はなかった?」

 

 父さんにはたくさんのことを教わった。
 昔「ムイミダス」というとても面白いコント番組があったこと。
 ネパールにジャングルナイトツアーというのがあって、動物は一頭もおらずゾウの糞しか落ちていなかったこと。
 「亀は意外と早く泳ぐ」という映画が面白いこと。
 落語は志の輔から入れば間違いないということ。
 高田渡の「コーヒーブルース」に出てくるかわいいあの子は店員ではなく、イノダで待ち合わせをしている子だということ。
 たくさんたくさん話してくれた。
 だけど僕は本だけに固執して、父さんの薦める本以外のものには手をつけなかった。なぜかはわからない。本こそがすべてだと思っていた。
 あの頃は楽しかったな。

 

 「…いや…まぁ、そんなことはなかったんですけど…」
 「なるほどなるほど。ということは、今の川村くんはコミュニケーション課題が二つ。1.空気の読み方がわからない。2.本以外に興味がないので共通の話題を持てない、と…うん。よし、オッケー。ちなみにクラスの中で、テレビの会話とかを切り出すのは誰?」
 「基本は山口のグループですね。」
 「それが空気の主語なんだよ。」
 「主語?どういうことですか?」
 「空気を読めよ、というのはかなり意訳された言葉なんだ。これを丁寧に全訳すると、その場を支配している者が持って行きたい話の方向を理解して同調しろよ、という意味になる。」
 「例えばどういうことですか?」

 「例えば、山口くんはその場を盛り上げようと考え、昨日見たテレビの話を話題として選択した。すると山口くんグループのメンバーは、山口くんが場を盛り上げようとしていることを理解し、その行間を読みながら適切な場所で相槌やツッコミを入れて話を成立させるようにアシストしていく。そしてクラスのみんなはその山口くんの盛り上げたいという雰囲気を汲み取って笑っているんだ。つまり内容がわかっていなくても、その場の支配者が気持ちよく話せるように笑っていると理解できる。」
 「空気を読むってそんな団体芸なんですか?」
 「団体芸か。その表現面白いね。みんなそれを無意識にやってるんだ。」
 「そんなに高度なこと、やっぱり僕にはできないです…」
 「それがね、川村くんもやってるんだよ!」
 「僕がですか?」
 「仮にボクがこの場を支配していると仮定したときに、ボクが空気の正体はなんだ、という話を川村くんにする。このときボクはきみに、空気の正体を理解してほしいと考えている。それに対して、きみは適切な場所で相槌を打ち、質問をし、そして納得する。これはまさしく空気を読んだ行動なんだよ。」
 「そう言われればたしかに…」
 「場を支配する者は、時と場面で変わる。例えば授業が始まればその場を支配するのは教師だ。その教師は穏便に授業が終わればいいと思うタイプだとする。するとクラスのみんなは、その教師の考えを理解し、教師が気分を害さないように静かに授業を受ける。このとき騒ぐやつがいたら、教師は怒るだろうし、まわりのみんなもどうしてその雰囲気を妨害するのかと不快な気持ちになる。」
 「うーん。理論としては理解できます。たしかにそうかもしれない。」

 「今日さ、もし時間があったら夜こない?」
 「夜ですか?」
 「夜はうち焼酎バーなのね。もちろん川村くんにはお酒出せないんだけど、今日は金曜だからいろんな人が来るんだ。そこで空気を読む練習と、本以外にも面白いものがあることを知ってほしい。」
 「そ、そんな急には無理ですよ…」
 「オシャにいさんも来るよ!」
 「ほんとですか!?」ミチロウさんは僕が食いつくポイントをよく理解している…ぐぐぅ…
 「うまく話せなくてもいい。ただ話を聞くだけでもいい。もっと広い世界があることを知ってほしいんだ。」
 「…わ、わかりました。夜、また来ます。」
 「よし!じゃあ20時にここで待ち合わせよう!」
 「よ、よろしくお願いします…」

 僕は店を後にした。正直全然気乗りしなかった。人と話すことが苦手な僕が、たくさん人たちの場に紛れ込むなんてできるわけがない。話についていけなかったらどうしよう…キモいと思われたらどうしよう…不安しかなかった。

 

 空気読めよ、というのは小学校高学年くらいから言われ続けていた。通知簿なんかにも、マイペースでまわりと足並みをそろえることが苦手なようです、と毎年書かれていたと思う。
 身体が小さくて運動もできないうえに、コミュニケーションもうまくとれない僕は孤立するばかりだった。まわりは僕のことを不思議そうに見ていたが、僕からすればみんな同じ遊びや同じ内容の会話ができることのほうがはるかに不思議だった。
 僕には本があって、そして父さんがいた。一人で本を読んでいても、それを話せる父さんがいるから何も問題は無かった。

 だけど、父さんは死んだ。

 転校先の学校では今までと打って変わって友達をつくろうと励んだ。父さんのように強い人間になるには、友達が必要だと思った。
 今思えば僕は誰かに必要とされたかったのかもしれない。唯一の理解者がいなくなった今、僕を認めてくれる存在が欲しかったのかもしれない。

 自分から挨拶をしてみた。
 愛想よく笑ってみた。
 体育を全力でやってみた。
 部活にも入ってみた。

 それでも友達はできなかった。話しかけてもうまく噛み合わない。話している内容がわからない。
 ツケがまわってきたと思った。みんなが今まで当たり前のようにやってきたことを、僕はずっと避けてきた。同じ遊びや同じ会話をして、彼らは同調する訓練を積んできたんだ。
 どんな本を読んでるって聞いても、みんなろくに読んでない。僕の読んできた千冊以上の知識は、学校生活を生き抜く上で何一つ意味を成さなかった。それは僕の人生が否定された瞬間だった。
 転校して1ヶ月が経ち、僕は友達づくりを諦めた。

 ある日の放課後、担任の体育教師に呼び出された。
 「おぉよく来たな。まぁ座れよ。」
 「は、はい…」
 「川村さ、なんか困ってることとか無いか?」
 「こ、困ってることですか?いや、別に…」
 「あ、いや、なんていうかその、川村は友達いないだろ?なんでつくらないのかなーと思ってさ。」
 「つ、つくらないんじゃなくて、つくれないんです。」
 「つくれないって、そんなことないだろー。ほら、同じ趣味のやつとかさ!川村の趣味は何だ?」
 「ほ、本です。」
 「本かー。いいよな!先生も昔はたくさん読んだよ。本好きだったら山下とか気が合うんじゃないか?」
 「か、彼が読んでるのは漫画で、ほ、本ではないです。」
 「うーん、そうか…先生がお前くらいのときは野球部のみんなとわいわいしてたけどな。どうだ?野球部とか?」
 「け、結構です。ぼ、僕が入るとみんなに迷惑かけちゃうし…」
 「うーん。まぁたしかにそうかもなー…って冗談だよ冗談。とにかくさくさくっと友達つくってくれよー。転校してきたお前が一人でいるから、いじめられてるんじゃないかーって、他の先生も心配してるんだよー。な。頼むよー。」

 ん?なんだこれ?
 胃の奥底からふつふつと何かがはい上がってくる。自然と歯を食いしばる力が強くなる。怒り?今まで味わったことのない感覚。
 僕はこの保身に走る筋肉馬鹿教師をみそくそに言い負かしたい衝動に駆られた。

 「先生。質問していいですか?」
 「もちろんだよ。どうした?」
 「友達がいなきゃいけない理由ってなんですか?」
 「それは友達がいないと人生つまらんだろ。」
 「どうしてですか?友達がいなくても他に娯楽はあると思うんですが。先生は友達といることでしか楽しさを感じられないんですか?」
 「そ、そんな早口でしゃべらなくても…どうした川村?」
 「僕が質問する番です。僕の質問に答えてください。先生は友達といることでしか楽しさを感じられないんですか?」
 「せ、先生だって運動したり、映画を見たり、本を読んだり、いろいろ楽しいことはあるさ。」
 「最近何を読みましたか?」
 「最近は…まぁ忙しくてあまり読めてないな。」
 「一番好きな作品は何ですか?」
 「一番?え、それは…やっぱり走れメロスが先生は一番好きだな。友情ってすばらしいよ。」
 「太宰で他に何か読みましたか?」
 「え?えぇと…あ、羅生門は読んだぞ!」
 「それは芥川ですね。」
 「…ま、間違っただけだ!とにかく本ばかり読んでないで、もっと学生生活を謳歌しろよ!さ、気をつけて帰れ。」

 あ、わかった。僕のせいじゃないんだ。
 教師がこれだから生徒も馬鹿なんだ。
 僕が劣っているんじゃない。僕に友達ができないのはまわりが馬鹿すぎるからだ。
 運動と友達こそが正義だと信じている筋肉馬鹿。テレビやお笑いの話題でしか盛り上がれない通俗馬鹿。色恋沙汰で一喜一憂する色欲馬鹿。ただ生きているだけで何もしていない無駄馬鹿。
 ここは学校と言う名の馬鹿のるつぼだ。
 そんなやつらに媚びへつらってまで仲良くなる必要はない。こっちが合わせても馬鹿なあいつらには理解できない。僕はただひたすらに本を読み続ければいいんだ。理解できないあいつらが悪いんだ。
 強い人間が何なのかようやくわかった。
 他人と関わることを生きがいとして、友達がいることでしか自分の人生を謳歌できないお花畑人間になることを否定し、絶対的な価値観の中で一人強く生きていける人間のことだ。

 急にすっと楽になった。
 友達なんていらなかったんだ。別に理解されなくてもいい。僕は僕で好きなことだけをやればいいんだ。
 僕は人との関わりを必要最低限に留め、友達をつくることなく無事に中学を卒業した。

 

 気がつけば夕方になっていた。リビングではパートから返ってきた母さんが夕飯の支度をしているんだろう。カレーのいいにおいがしていた。
 僕は学生服を脱いで身支度を始めた。服は母さんが買ってくるものか、父さんが着ていたものしか持っていない。僕は父さんの着ていた黒の無地Tシャツとジーパンに着替えた。髪の毛をセットするとやっぱり別人が鏡に映っていて、まだ慣れない。
 カレーが出る日は、父さんの月命日と決まっている。父さんはカレーが大好物だった。
 母さんは仏壇にカレーを供え、線香に火を点ける。カレーのいい匂いを消し去る線香は、本当に父さんを喜ばせる気があるのか?と毎度疑問に思うが、皮肉にも遺影の父さんはものすごい笑顔だ。

 カレーをかきこんでいると、母さんが話しかけてきた。
 「最近どう?学校は楽しい?」
 「…まぁまぁかな。」
 「そう。まぁまぁか…」
 「…あのさ、えっと…カレーおいしいね。」
 「いつもと同じじゃない。なに?なんかあった?」
 「いや…そういえばそうだね。いつも通りだね。」
 「…そう言えば髪型どうしたの?」
 「変?」
 「ううん。すごく似合ってる。なんて言うか、若々しくなったというか。」
 「いや、まだ16だからね。」
 「いや、そうなんだけど…散髪代はどうしたの?お金あったの?」
 「知り合いの美容師の人に切ってもらった。」
 「…あんた知り合いに美容師なんていたの?」
 「あ、えっと…」
 猿タコスのことはなんとなく母さんには話さずにいた。もう少し、あと少しだけこのRPGが進めば母さんには伝えようと思っている。このぎこちない会話も、ほんとはもっとスムーズに話せればといつも思う。そのためにもいち早く次のステージにいく必要があった。

 カレーを流し込み、洗い物を済ませた後、僕はちょっと出てくると伝えた。母さんは心配そうに、大丈夫?と聞いてきた。大丈夫かどうかは僕もわからなかったが、うん、とだけ答えて家を出た。


 猿タコスに着くと、4人がカウンターに座ってミチロウさんと楽しそうに話していた。
 「おぉ川村くんじゃん!」オシャにいさんが話しかけてくれた。
 「こ、こんばんは…」
 「髪型いいね!それにジャックパーセルも、黒のTシャツとすごい合ってるよ!かっこいいじゃん!」
 「あの…ほんとありがとうございました。」
 「ほら、こっちおいでよ!」
 僕は言われるがままにカウンターに座らされた。それも僕が中心となり、右に2人、左に2人のフォーメーション。戦隊もので言えば僕が赤のポジション。幼稚園の頃、お遊戯会で空気という信じられない役に抜擢されたこの僕が…
 左隣に座ったオシャにいさんが僕を紹介してくれる。
 「これが川村くん。清水高校の1年生で、最近のミチロウさんのお気に入り。昨日おれが髪切ってあげたんだ!」
 「は、はじめまして…あの川村です。清水の1年です。昨日オシャにいさんに髪切ってもらって…」
 「いや聞いた聞いた!おれニワトリちゃうから!そんなすぐ忘れへんから!」
 かんさいべんだ……関西弁だ!!初めて生で見る関西人が、僕の右隣に座っている。何に対してそんなに怒ってるのかわからないが猛烈な勢いで話している。すごい人種だ…
 「あ、ほんでおれ宇野っていいます。芸人やってますー。」
 「芸人さん…すごいですね!」
 「いや、こいつは別にすごいことあらへんよ。まだ売れてへんし。」
 激流を制するかのように、宇野さんの右隣からまた関西人が現れた。
 「お前が言うな!あ、こっちのおもんない方が相方の谷澤。」
 「でもネタ書いてるのはオレやから、そのおもんない方に飯食わせてもろてる方が宇野。今日はそれだけでも覚えて帰ってください。」
 「やかましいわ!」
 宇野さんと谷澤さんは息がぴったりだった。僕はこのコンビ芸に、素直に感動していた。
 「す、すごい…」
 「いや、すごいちゃうねん。おもろいって言うてほしいねん。」
 「あ、すいません…」
 「いや、だからすいませんちゃうねん。おもろい言うてほしいねん。」
 「…お、おもろい…」
 「コピペすな!独自の表現せえ!」
 みんなの笑い声が上がる。なるほど。この場を支配しているのは宇野さんだ。僕はミチロウさんを見つめて右隣を指差し、ですよね?という顔をした。
 ミチロウさんは小さくうなづき、話してみろと言わんばかりに、アゴをくいくいと宇野さんのほうに向けた。

 「あ、あの…ウノさんってなんで芸人になろうと思ったんですか?」
 「鋭角に真面目!鋭く真面目な質問するやん。芸人になった理由?そんなん決まってるやろ。芸人が一番かっこええからや!」
 「そういうんは売れてから言わなダサすぎるやろ…」
 「だ・ま・らっ・しゃ・い。ええか、芸人たるもの常に夢と笑いを与えなあかんねや。川村言うたっけ?きみはなんかなりたいもんとかあるんか?」
 「ぼ、僕…あの、今いじめられてまして…で、いじめられない人間になりたくて…」
 「なんやいじめられてんか。おれと一緒やん!おれも高校までそれはそれはズタボロにいじめられててさ。」
 「宇野さんがですか?」
 「うちめちゃめちゃ貧乏やってさ。おかず無いときとかごはんに水かけて流し込んで食うてたもん…いや、これほんまなんやて!ほんでそんな貧乏やから、やれ靴がボロボロや、やれ学ランがおさがりや、やれ弁当が貧しいやら、ごっついじめられてたんよ。」
 「宇野…お前も苦労したんやな…泣けてくるわ…」
 「いや、いじめてたんお前や。全いじめがお前発信や!」
 「そんな時代も…ありましたねえ…」
 「しみじみーちゃうねん。昔はやんちゃしたけど今はガキもできて幸せな家庭築いてますー顔すな!」
 「え、谷澤さんがいじめてたんですか?で、そんないじめっことコンビ組んでるんですか」
 「せやで。それも谷澤からコンビ組んでくれってお願いされたからな。」
 「よく許しましたね。ど、どうやっていじめは収まったんですか?」

 「一回だけ勇気出してみたんや。ただそれだけ。」
 「どういうことですか?」
 「ずっといじめられてて、このままじゃあかんなーと思ててさ。あれは高2の時かな?文化祭でお笑いコンテストがあって、一人で漫談したんよ。おれいじめられてるけど、お笑いやったらこいつらより100倍おもろい自信があってさ。で、どうせやったらいじめられてることネタにして、告発しながら笑いとったろ思て。」
 「どうなったんですか?」
 「これがちんちんにスベッた。しゃべりながらおれ死ぬんちゃうかな言うくらいスベッた。たぶんやけど、おれがいじめられてることをみんな知ってたから、そんないじめられっ子が話すことで素直に笑われへんと言うか、なんとなくそういう空気があったんやと思う。でも話はここで終わらへんねん。」
 「どうなったんですか?」
 「ちんちんにスベッた言うたけど、実は一人だけ笑てくれる人がおった。それがどついたるねんの大谷さんっていう芸人さんやってさ。ネタが終わったらその人がめちゃめちゃ拍手してくれてん。ほならそれを見てたまわりのやつらが大谷さんに気づいて、芸人さんが拍手してるねんからすごいネタなんやー思て、まわりのやつらも拍手し始めてさ。ネタは全くウケてへんのに、終わりにごっつ拍手されるっていう世にも奇妙なことが起こった。」
 「それでそれで?」
 「そしたらよ。谷澤は実はお笑いが大好きで、しかも大谷さんの大ファンやった。ネタが終わるや否や、こいつは大谷さんとこにぶわーっと駆け寄ってきて、サインください言うてさ。おれはなんか腹立つから、こいつにいじめられてるんです!って告げ口したんよ。そしたら大谷さんが、お前らコンビ組め。いじめっ子といじめられっ子の漫才見てみたいわ、って言うてきてさ。」
 「で、どうしたんですか?」
 「断ったわ。全力でNOを突きつけたった。そしたら谷澤は何を思ったかその場でおれに土下座してきてさ。コンビ組んでくださいって。大谷さんそれ見て爆笑してさ。それにつられてまわりも爆笑してさ。結果、どんな審査かわからんけどその年のお笑いコンテストでおれ優勝してもうたんよ。で、その流れでまぁええかと思て谷澤とコンビ組んでいじめが終わり、今に至るという。」
 「これは情熱大陸で話せるなー。」
 「やかましいわ!反省せえ!」

 宇野さんは芸人さんというだけあって、ものすごく話がうまかった。ほんとは暗い話なのに、笑わせたり感動させたり、最後にはちゃんとオチまでが用意されていた。僕は完全に引き込まれていた。普段テレビを見ないからわからないけど、この人たちは絶対売れるなと思った。
 「なんてコンビ名なんですか?」
 「宇野です。」
 「谷澤です。」
 「「二人合わせてド・ゲザーズです。」」

 絶対売れないなと僕は思った。
 ずっと沈黙を守っていたミチロウさんが、タバコの火を消してやっと口を開いた。

 「宇野くん。川村くんと話してみてどうだった?」
 「どうだった?うーん。ようわからんけど話しやすかったすね。ええ客でした。」
 「そう。川村くんね、いいタイミングで相槌うってくれるし、すごい興味もって聞いてくれるんだよ。」
 「ぼ、僕がですか?」
 「その、ぼ、僕がっていうのはなんともいじめられっ子ぽいけども、でも川村はなんていうか、見た目も会話の感じもいじめられっ子ぽくないかな。」
 「ほんとですか??」
 「お、おぉ…圧すごいな…」
 「ここまではやっぱり問題ない。川村くんは空気を読むスキルがある。あとはあれだけだね。」
 「あれってなんすか?」
 「ちょっと宇野くんさ、川村くんに好きなもの聞いてみて。」

 「川村はなんか好きなもんとかあるの?」
 「本です…」

 「他は?」
 「他は…なにもないですね…」
 「なんでや?」
 「なんでって…それは…その、本以外に興味はないから…」
 「もったいないなー…もったいない!おれは頭も悪いし、いじめについてもなんもアドバイスでけへんけど、これだけは言うといたるわ。いろんなもんを食うてみい。手当たり次第はじっこだけ食うていってもええし、がぶっと食うてみてまずかったら吐き出してもええし。とにかくいろんなもんを食うてみ!」
 ミチロウさんはにこっと笑った。
 「宇野くんの伝え方はさておき、言ってることはほんとその通りだと思う。今日朝来たときに、テレビやYoutubeには興味がないって言ってたけど、興味があるかないかは一度経験してからでいいんじゃないかな。そもそも作家さんだって本だけを読んでるんじゃない。旅したり、音楽を聴いたり、お酒を飲んだり。いろんな経験をして醸成されたものを、たまたま本っていう手段で表現してるんだ。」
 「言ってることは…わかります…」
 「川村くんの食わず嫌いの根っこにあるものを考えてみたんだ。そしたらひとつの仮説にたどり着いた。邪推かもしれないんだけど、川村くんは怖れている?」
 「怖れ?どういうことですか?」
 「運動が苦手で、コミュニケーションもうまくとれないから本だけを読み続けてきた。そんな自分を自分たらしめているのは読書量で、自分からそれをとったら何も残らないと思っている。下手に他のことに手を出すと、まわりの人間はそれを積み上げてきているから自分が一番下になってしまう。それだったら本だけを知ってる世界に生きよう。本の世界の中で生き続ければ一から頑張る必要もない。誰にも馬鹿にされない。」
 ぺきぺきと自分の中の、何かが音を立てて崩れていく。
 「自分の知っているもの、培ってきたものを素晴らしいと思いたいのはよくわかる。だけどそれだけがすべてと思うのは、逃げだ。新しいものを知るのが怖い。もう自分はこれでいいって、そう決め込むことで楽なほうにいってる。」

 ミチロウさんの言うとおりだ。僕は怖かったんだ。絶対的な価値観の中に閉じこもって、外の世界を知ろうとしなかった。興味をもたないようにしていた。
 僕が何も言えずに黙っていると、ミチロウさんが優しく話しかけてくれた。
 「宇野くんと話してみて、芸人さんって面白いと思わなかった?」
 「…あの…正直、すごいなって思いました。こんなに面白く話せる人がいるんだって。」
 「川村くんが知っている世界なんてほんとのほんとに小さいんだよ。だからもっといろんなものを見て、経験して、感じてほしい。」
 「…ぼく、僕もっといろんなことが知りたいです。」
 ミチロウさんにもっと早く出会っていれば、と心の底から思った。
 いや、違う。父さんはずっといろんなことを教えてくれてたんだ。遠ざけていたのは僕だ。

 「二つのコミュニケーション課題はクリアできそうだね。空気を読むスキルは身に付けたし。共通の話題を持てないという課題も、根本原因である本以外に興味をもつことへの怖れを克服できたと。あ、あともう一つコミュニケーションで大事なことがある。」
 「なんですか?」
 「空気を読むのは、こだわりのないものにだけ。
 「こだわりのないもの?」
 「なんでもかんでも空気を読んでおけばいいってことではない。ほんとに川村くんが譲れないものに関しては空気は読まなくてもいい。きちんとそこで川村くんの意見を言えばいいんだ。」
 「え、いや…なんか急に難しいです…」
 「いじめっこたちが川村くんをいじめようとする。川村くんが空気を読むならば、そのまま同調していじめを受け入れるしかない。でもそうじゃないでしょ?」
 「いじめは…もう嫌ですね…」
 「空気を読むことが日本では美徳とされているから、すべてにNOを言うのは、僕は違うと思う。かといってすべてにYESを言うのも違うと思う。自分の譲れないものが何なのかを知り、どうでもいいことにはYES。譲れないものにはNO。それがわかれば川村くんは変われる。」

 僕はまた泣きそうになっていた。すると、宇野さんが空気を読んで、ほな練習しよか、とよくわからない提案をしてきた。
 「おい川村、宿題見せてくれや。」
 「え、あ。もう始まってるんですか?」
 「おい、おれだけ恥ずかしいやろ。はよのっかれや。おい川村、宿題見せてくれや。」
 「あぁ…いいですよ。」
 「おぉー。宿題見せるんは別にこだわらんちゅうことやな。ほな次。おい川村、パン買ってこいよ。」
 「いいですよ。」
 「あ、そこもセーフ?ほな、これはさすがにあれやろ。おい川村、殴らせろや。」
 「うーん…いいよ…」
 「キリストか!お前はイエスだけにYESか!」
 今日初めて猿タコスが静かになった。
 「もうええわ。おれだけすべってアホらしいし、もうこれ終わろ。」
 「いや、もうちょっとだけやらせてください!」
 「…ん?今のは?NOとしてカウントしてええんかな?」
 みんながわーっと盛り上がった。宇野さんは、川村お前は笑いのセンスがあるわ、と褒めてくれた。他人と話すことってこんなにも楽しいことなんだ。本以外にも面白いことって山ほどあるんだ。世界は広い。僕は重大な真実を知った気になった。

 空気を読むとは
 ・誰がその場の支配者かを理解する
 ・その支配者が持って行きたい話の方向を理解する
 ・支配者が気持ちよく話せるように同調する
 ・ただし自分のこだわりがないものにだけ同調する
 ・こだわりのあるものに抵触するときはNOを言う

 僕はぼうけんのしょにセーブした。
 するとミチロウさんがパソコンを操作し始めた。まさか、またあれをやるのか?昨日と同じく、店内の音楽が止まりる。そしてあの音楽が鳴る。パパパーンパンパッパーン。
 「勇者川村は、レベルが5になった。奥義「エアーリーディング」と、装備「インタレストの心」を手に入れた」
 僕と宇野さんは顔を見合わせた。宇野さんは表面張力まで物言いたげ顔をしていたが、それを上回るミチロウさんのドヤ顔を前に、抜きかけた剣を鞘に収めた。

 ステージ②酒場(未クリア)
 ー自信レベルが5になった
 ー宇野さんがパーティに加わった
 ー奥義「エアーリーディング」を身に付けた
 ー装備「インタレストの心」を手に入れた

 僕はぼうけんのしょにセーブした。

 「いつになったらあたしの出番なのかな?」
 ダンッとグラスをカウンターに叩きつける音がして、僕は音の出所に目を向けた。そうだ。ここにはもう一人いたんだ。オシャにいさんの隣にはきれいな女性が座っていた。僕は反射的に目を背けた。

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「1番早くゴールできるのは誰だ!?」オリジナルロボットを作って、プログラミング体験のできるイベントを開催!

「大変だ!車の本体はあるのに、タイヤがない!自分だけのタイヤを作って走らせて、みんなでレースをしよう!」

こんな形で始まった、2月23日のプログラミングイベント。
けいはんなRC」さん、「チームラボ株式会社」さん、「VIVITA株式会社」さん、「ATR(株式会社 国際電気通信基礎技術研究所)」さんとのコラボです。
イベント開始の前から、子どもたちの好奇心が刺激されます。

 

「今日は1人1台、タブレットを使います!始まるまで好きにいじってみていいよ~」

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どきどき。数分後にはいろんな機能を使いこなせるという適応力の高さには驚かされます……。

 

「今日は、自分でタイヤをデザインしてもらいます!どうやったらこのコースを最速でゴールできるか、自分なりに考えてデザインしてみよう!」

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じっとコースを見つめる子どもたち。コース内には、でこぼこゾーンや急な坂など、行く手を阻む障害物があります。ボールを入れるとボーナスがもらえるサッカーゾーンも。どんなタイヤにしたら、1番早くゴールできるんだろう?

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真剣にデザインを考える男の子と、それを見つめるお父さん。子どもたちのアイデアは非常に豊富です。

 

「デザインできてる~!なんでそれにしたの?」

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「でこぼこのタイヤにして、速さよりも正確にちゃんと進むように……。でも、見本のタイヤよりも少し小さくして回転数も考えてる!」
バランス、めちゃめちゃ考えてます。堅実派な彼女の結果はいかに?

 

デザインができたら、レーザーカッターで木材を切り出します。f:id:stud-io:20190224110311j:plain
レーザー稼働中。「焦げてるにおいがする。」

f:id:stud-io:20190224111050j:plainおそるおそる取り出し……。自分がデザインしたものがすぐできちゃうってすごい!

 

切り出しが終わったら、本体と組み合わせ・プログラミングの作業に移っていきます。

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めちゃめちゃ集中して組み立て中。こちらの質問にもしっかり答えてくれて、作業もばっちり進めていました。(邪魔してごめんね)

こちらは、非常に凝ったデザインのタイヤを作っている男の子の写真。

f:id:stud-io:20190224112313j:plainお父さんも隣でお手伝い中です。(真剣に取り組む姿がそっくり……!)

こちらは、プログラミングに取りかかっているところ。

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「これをここにつなげたら……」ベースとなる説明を聞きながら、いろいろ試して工夫していきます。不思議な音が鳴る仕組みを教えてもらいました!(もはや教わる側。)

 

プログラミングが終わったら、レースに入っていきます。f:id:stud-io:20190224113608j:plainゴールまでたどり着けるように、調整中。本番まで、みんな夢中で取り組んでいました。

 

思い通りに動いた瞬間をぱしゃり。f:id:stud-io:20190224114003j:plain
めっちゃ楽しそう……!見ているこっちまで嬉しくなってきます。

 

レース本番。

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「いけいけ~!」

レースにアクシデントはつきもの。
“ロボットのデザイン×プログラミングを含む操作技術×臨機応変な対応” これらの総合力の差が、レースの勝敗を分けました。

 

レース終了後は、表彰タイムです。「レースの1位」「タイヤデザインのアイデア1位」、ふたりに表彰状が送られました。
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「おめでとうございます!」(素敵でした~!拍手!)

 

ものづくりとプログラミング。
自分で考えたものがかたちになっていく楽しさ・面白さを、少しでも感じてもらえていたらいいなと思いつつ、今回はここで失礼いたします。
お読みいただきありがとうございました!

 

▼イベント詳細・けいはんなリサーチコンプレックス公式HP▼

https://keihanna-rc.jp/events/event/190223/

https://keihanna-rc.jp/report/robot-programming-190223/?fbclid=IwAR2AT4Tg2wzDb5DIRCOGxc9YvocsUK8z4LuDBG1rYgJWnqsEh2QmzD6Bhiw(イベントレポート)

▼チームラボ株式会社公式HP▼

https://www.team-lab.com/

▼VIVITA株式会社公式HP▼
https://vivita.co/

ATR公式HP▼

https://www.atr.jp

めざせスティーブジョブズ!プレゼンビンゴで毎日練習中。

みなさんこんにちは!
早速ですがみなさん、スティージョブズのプレゼンを見たことがありますか?
現在studioあおでは、未来のスティージョブズを輩出するためにプレゼン練習を行っています。


プレゼンビンゴというシートを使って、スタッフがその日のプレゼンを評価。
一度のプレゼンで4ビンゴ達成すると、自分の名刺を作ってもらえるという特典つきです。

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(「スティージョブズか!と言われる」なんて項目が。いまだに達成者はいませんが……)


今日のお題は、「自分の好きな動物」について。

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「ライオンのメスが好きです。なんでかと言うと……」
ジェスチャーを使って、笑顔で。はきはきしゃべる姿がかっこいい!

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「えーと、レッサーパンダは……」

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「実は人間と同じように、かかとがあるんです!」

え、そうなの!?スタッフも驚きです。豆知識をたくさん披露してくれた彼女の話には引き込まれました。

 

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「こんなふうに……」
なかなか好きな動物が絞れなかった彼も、身振り手振りで堂々と発表してくれました。

 

写真を見ると、みんな自信もって発表できているように見えますが……
実はプレゼンが苦手な子も多いのです。何度も練習して、課題を見つけて、直して。
その繰り返しでみんな、だんだんと自分の言葉で発表できるようになっていきます。


大切なのは、プレゼン者の技術だけではありません。プレゼンを聞く側の環境づくりと、評価の体制も非常に重要になってきます。

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「1位だーれだ!」

みんなでお互いの評価中。(撮影者の私も参加してました)
どこが良かったかを言い合ったり、次への課題を見つけたりします。その場でフィードバックしてもらえる環境づくりって大切だな~


どんどん自信をつけて、みんなから「スティージョブズか!」と突っ込んでもらえるようなプレゼンターを全員で目指していきます~!

『いじめRPG』第4章 おで好青年 左子光晴

おで好青年

 ステージ①最初の村:初期装備と初期パーティーを手に入れる
→弱みの中から比較的コントロールが簡単なものを改善する
→助けてくれる人には全力で頼る


 「今日は最初の村だ。ということで初期装備と初期パーティーを与えるよ!」
 「はい…あの、お願いします。」
 「という前置きであれなんだけど、これにはちょっと心苦しい話がありましてですね…初期装備として川村くんの弱みをその、ちょっと改善したいと思ってまして…で、どれを改善するかと言いますと、ええとその…」あのミチロウさんが言葉選びに窮していた。
 「あえて厳しい言い方をすると…なんていうか、その、今の川村くんは…その、いじめられても仕方ない見た目をしているというか…」
 ぐ…ぐぬぬ…自分でも不気味だと思っていたが、面と向かって言われるとこたえる。いつもはっきりと物言いするミチロウさんが口ごもるくらいだから、僕の見た目はよっぽどなんだろう。だって…
 「あ、今言い訳考えてたでしょ?」
 「だって…だってそんな見た目のことを言われたって、仕方ないものは仕方ないじゃないですか。そりゃかっこいい顔に生まれてたら、僕もこんなことにはなってないし…もっと恵まれた体格だったらいじめられなかったと思うし…それにファッションなんてわからないし、そんなお金も無いし…」
 「あ、違う違う!そんなべらぼうに変える必要はないんだよ!ここでの目的はステージ②の酒場に最速で出ることなんだ。そのためには初期装備、つまり自信のきっかけを手に入れることが必要なんだ。」
 「きっかけですか?」
 「人間ってね、何か一つに自信を持てれば、あとはすごい速度で変わっていけるんだ。でもその最初のとっかかりを見つけるのがなかなか難しい。だから今川村くんがコントロールできるもののなかで、最速かつ低努力で自信をもてるものは何かなと考えた。」
 「コントロールできるものってどういうことですか?」
 「川村くんは弱みの項目に、―友達がいない。見た目が不気味。運動神経がない。はきはきとしゃべれない。おどおどしている。自分の意見を言えない。空気を読んだ行動ができない。-って書いてくれてるよね?」
 「は、はい…」
 「友達がいないというのは相手のいることだからアンコントローラブルなものなんだけど、それ以外はすべてコントローラブルなもの、ってことは理解できる?」
 「つまり自分自身でどうにか変えられるってことですか?」
 「その通り。じゃあこの中で、すぐにでも変えられそうなことは何かな?」
 あ、そういうことか!運動神経なんて一生かかっても無理だと思う。はきはきしゃべったり、おどおどしたり、自分の意見を言うのもなかなか難しい…
 「見た目…ですか?」
 「お見事!ボクはそこに目をつけた。ちなみに空気を読んだ行動というのも、空気という言葉の正体を理解できれば比較的簡単にレベルアップできるんだけど、それもまた追々話すよ。」

 「あのもう一つ質問いいですか?弱みってあったらいけないんじゃないですか?全部克服しなきゃいけないと思うんですが…」
 「弱みなんてのは相対的なものだから、人間誰しも持ってるものなんだよ。誰から見てもイケメンって呼ばれてる人も、他の人と比べたときに学歴がない、とか、年収が低い、とか弱みを抱えてたりする。そんなことよりも自分の強みを伸ばしていくことに時間をかけたほうがいい。」
 「どうしてですか?」
 「強みを伸ばすと唯一無二のキャラクターになれるんだ。」
 「唯一無二のキャラクター…」
 「簡単な話で、弱みはどれだけ努力してもたぶん人並みにしかなれない。だけど強みは努力すればまわりが追いつけないただ一人の存在になれるんだ。たくさんの要素で平均を手に入れるよりも、たくさんの要素が劣っていても何か一つ極めるほうが、キャラクターとしての市場価値は高い。」
 「なるほど。」
 「市場価値はイコール自信だと思ってもいい。要するに強みをガンと伸ばせば自信レベルをがんがん上げられるという話。」
 「思っていた以上によく考えられている…」
 「あれ、しれっと失礼なこと言った?まぁとにか川村くんの強みを伸ばすには時間がかかると思ったから、今日のところは、簡単に変えられる弱みをレベ…」」
そのとき猿タコスのドアが開いた。きらびやかな、明らかに一軍の人間が近づいてくる。僕は咄嗟に目を背け、ミチロウさんを不安そうに見つめた。
 「ちょうどよかった!やっぱりこういうのは専門家に任せるのが一番だね!」
 「なんの話すか?てかひどいすよミチロウさん。オレにも仕事あるんすから!」
 「ごめんごめん。あ、紹介するね。ええと…あ、もう自分で自己紹介して!」
 「いや、適当!もうちょっと大事にしてくださいよ!」そう言って一軍の人は僕を見た。ま、まぶしい。
 「あ、オレ中川って言います。美容師とか、まぁいろいろしてます。ミチロウさんには学生時代にすごいお世話になって、今でもよくここに飲みに来てて。」
 「は、はぁ…」
 「今日は川村くんの髪を切りに来ました。」
 「は、はぁ……はぁ?」
 「夜中3時頃かな?珍しくミチロウさんから電話があってさ。髪切って、13時にうち来て、って。」
 「そんな言い方してないじゃーん。」
 「いやいやいや、ミチロウさんこの猿タコスメンバーの中で、オレのことだけ邪険に扱うじゃないすか!」
 「そんなこと言うけど、ほんとはこういう扱いが嫌いじゃ?」
 「ない!」
 「こういう扱いがおいしいと思って?」
 「る!ってやめてくださいよ!」
 二人は長年の友達のように話し始めた。中川さんは20代半ばくらいのオシャレな明るい人だった。長めの髪の毛は真ん中で分けられていて、ゆるくパーマがかかっていた。両耳には輪っかのピアスがついていて、細身の身体に白のポロシャツを着ていた。黒の細身のジーパンに黒と白のスニーカー。近づくとものすごく良い匂いがした。
 卑屈な気分になった。存在するだけで、見下されているような気分になる。僕は軽蔑をこめてオシャにいさん、と心の中であだ名をつけた。僕とは一生関わることのないような一軍の人種。この人がミチロウさんの言ってたパーティー?無理すぎる…

 「あ、あの…」
 「あ、ごめんごめん!勝手に進めるのは悪いなと思ったんだけど、最速・低努力で変えられるものは髪形かなって。それなら中川くんに助けてもらおうと思って今にいたる、みたいな。」

 ミチロウさんは楽しそうだった。僕はどうもオシャにいさんが好きになれない。
 「外見を変えればね、人って変われるんだよ。あ、これ見る?」
 オシャにいさんは一枚の写真を取り出した。そこには今とレイアウトが少し違う猿タコスが映っていて、中央には僕と同レベルに暗い学生が写っていた。わかめのようにウェーブした髪の毛が両目を隠している。ニキビでコーティングされた頬は赤みを帯びていて、うっすら笑う口元が不気味だった。はち切れんばかりのお腹でベルトが見えない。
 「あ、それオレね。」
 「え?これオシャにいさん?」
 「オシャにいさんってオレのこと?」
 「あ…あーすいません!!あの、なんていうか、その…」口が滑った…
 「オシャにいさん面白いじゃん!これから中川くんはオシャにいさんでいこう!」ミチロウさんが笑う。
 「いや、まさか26にもなってあだ名がつくとは思わなかったわ。川村くん面白いね!オレきみのこと気に入ったよ!」オシャにいさんも笑う。
 頬が真っ赤になっていくのがわかった。でも不幸中の幸いで、ミチロウさんもオシャにいさんも笑ってくれた。僕を中心に場が盛り上がっている。こんなの初めてだ。僕はオシャにいさんを少し好きになり始めた。
 「で、この写真はオレが高2の頃だったかな?川村くんも清水高校だよね?オレもあそこの卒業生なの。」
 「え、この写真…あの、ほんとに同一人物ですか?」
 「オレだよオレ。猿タコスに通ってオレは人生変わったの。ていうかミチロウさんに出会ってなかったら死んでたかもねー。」
 ミチロウさんは口を開いた。
 「なかが…あ、オシャにいさんもね、昔いじめられてたんだよ。でも見た目を変えて、考え方を変えて、いじめに立ち向かって、どんどん自信をつけていった。面白いのはここからで、自分のいじめ体験をまとめたブログがすごいバズってさ、そのブログを見ていた資産家の人がきみの夢を応援したいって言って、今オシャにいさんは美容院を3つ経営してるんだよ。」
 「経営って、社長ってことですか?」そんな物語の世界のようなサクセスストーリーがほんとにあるんだ。
 「まぁいちおね。でも今でも現場に立って髪は切るから、まだ腕は衰えてないよ!」
 「オシャにいさんの夢って?」
 「人に自信を与えることかな。人は自信を持てれば変われるんだ。見た目を変えれば違う自分になれる。だから外見を変える手助けをして、人に自信を与えて生きたい。それがオレの夢。そんなわけで川村くんの話聞いたらオレにも何かできるんじゃないかって思ってさ。」
 
 オシャにいさんの目はキラキラしていて、僕が知っている大人のそれではなかった。僕とたかだか10才くらいしか変わらない。10年後にこんな人になれるのだろうか?とてもじゃないが無理だ。僕とオシャにいさんではあまりにも持っているものが違いすぎる。
 「で、どんな髪型にする?」
 「え、あの、ほんとに切るんですか?」
 「それは川村くん次第だけど。でも少なからず今の川村くんはちょっと…」
 「…ぶ、不気味、ですか…?」
 「まぁそうだね…その言い方と相まって不気味さ倍増だね。」
 「あの…余計にいじめられないですかね?雰囲気変わったりしたら…」
 「人ってね、ほとんどを外見で判断してるんだ。もちろん深く関わればその人の内面や人間性も大事にはなってくるんだけど。見た目が9割って聞いたことない?」
 「い、いえ。」

メラビアンの法則ってのがあってね。まぁ実際9割ではないらしいんだけど、人を判断するうえで視覚情報ってのは大半を占めるんだよ。だから極端な話、川村くんがものすごい面白いことや、すごくいい話をまわりにしたとしても、ビジュアル面で整っているいじめっ子たちのくだらない下ネタのほうがウケたりするんだよ。それってすげーもったいなくない?」
 「そうですね…でも髪型って言われても、僕そういうのわからなくて…」
 「じゃあとりあえずおでこ出すか!」
 「い、いやいや!それは急すぎるというか、それはどうなんでしょ?絶対似合わないと思います…」
 「似合う似合わないはほとんどが見慣れてるかどうかの問題と思うんだよね。それにね、おでこを出すといいことがあるんだよ。」
 「なんですか?」
 「うちに来るお客さんで有名商社の営業マンがいてね、この人がまたものすごい話のうまい人なのよ。さぞ成績いいんだろうなって思って聞いたら、それがそうでもない。詳しく聞いてみると、第一印象があまりよくなくて、お客さんと関係を築くまでにすごい時間がかかるから、その間に他の会社に先を越されることが多いって言うんだ。それから心理学の本なんかを買って読んでみると、前髪が長いと暗い印象や怖い印象を人に与えるらしくて、そう言えばその人、おでこが広いからいつも隠してくれ、ってオーダーしてきてたのね。」
 「なるほど。」
 「で、次その人が来たときに思い切って、おでこ出しましょって提案したの。したら最初は戸惑ってたんだけど、もう任せるよ、って言われてさ。おでこ出したらすげー明るい印象になって、それから営業成績ぐんと上がってその部署でトップになったんだって。」
 「前髪切るだけでですか?」
 「いや、勿論元から話はうまかったし、それから努力もしたと思うんだけど、第一印象で前向きななイメージを与えることができたんだって。てなわけで、印象ガラッと変えてみるのはいかがでしょ。」
 「うーん…もう、オシャにいさんに任せます!」
 「任せますいただきましたー!ありがーす!じゃあ準備するね!」
 「あ、あの…ここに来てあれなんですが、散髪代っておいくらですか…?」
 「ミチロウさんに請求するからいいよ!」
 「ちょっとオシャにいさーん!」ミチロウさんが困った顔をする。
 「そのオシャにいさんってのやめてもらっていいすか?絶対無理してるし!」
 「ちょっと、なかが…オシャにいさーん!」
 「いや、途中まで中川って言えてたじゃないすか!なんでわざわでしっくりきてないあだ名を無理して言うんですか!」
 「似合う似合わないはほとんどが見慣れてるかどうかの問題と思うんだよね。」
 「いや、名言風にいじるな!で、そんな渡部篤郎みたいな言い方してないすから!」

 僕もあんな風に話ができたら、きっと楽しいんだろうな。クラスのやつらはバカしかいないと思っていたが、いざ話してみたらそうでもないのかもしれない。先入観をなくし、話してみたら案外慣れるものなのだろうか。
 いつから髪を切ってなかったんだろう。僕は小さい頃から父さんにしか切ってもらわなかったので、かれこれ2年ぶりだろうか。

 

 「だいぶ伸びてきたなー。そろそろ切るか!」
あまり伸びていなかったが、父さんがそういうんだから伸びたんだろう。僕はいつも通り、鏡と椅子を庭に運んで父さんを待った。
 梅雨が明けようとしていた。その日は久しぶりのぽかぽか陽気で、日差しがあたたかく、そのうえ優しい風が吹いていてとても気持ちよかった。

 中学校に入って1年と少しが経っていた。僕は少し背が伸びたものの、クラスのやつらはまだまだ大きくて、一番前は僕の不動のポジションだった。
 父さんがなかなか来ないので、庭からリビングを見るとなにやら母さんと話をしていた。今思えば、このとき母さんはすべてを知っていたんだろう。

 少しして父さんがやってきた。
 「ごめんごめん待たせたな。」
 「いいよ。すごく天気が良くて、今日は気持ちが良いんだ。」
 「そうだな。髪切ったらみんなでごはんでもいこうか!」
 「僕あの喫茶店に行きたい!」
 「じゃあ母さんも連れていつものとこ行くか!」
 「古本屋にも行きたいな。その間母さんはどうしようか?」
 「なに、母さんには何も言わせないよ。今日は好きなだけ本買ってやる。」
 「えらく気前がいいですなー。何かあったの?」
 「ん?うん、まぁな!」
 父さんはそう言ってハサミを動かし始めた。ジョキジョキという小気味良い音だけが聞こえていた。

 「母さんってどんな人だと思う?」
 「なに急に?どんな人って…怖い、厳しい、うるさい!」
 「母さんな、ああ見えてすごく弱い人なんだ。父さんが俊樹に対してあまり言わないから強く振舞ってるけど、ほんとはそうじゃないんだ。」
 「ふーん。母さんと父さんってさ、どこで知り合ったの?」
 「母さんとはあの古本屋で知り合ったんだ。」
 「えぇ?そうなの?」
 「父さんが大学生の頃だ。当時母さんはあの古本屋でバイトしててさ。かわいいなーとは思ってたけども、声をかける勇気も無かったし、飯代をけちって本を買うくらいに貧乏学生だたからどこかに連れ出すこともできなかった。」
 「なんか恥ずかしいな、こういう話。」
 「まぁまぁ。で、その日も父さんはろくに何も食べず古本屋に行った。本を選ぶふりをしながら母さんをずっと見てたらさ、急に視界がかすみ始めて、父さんはその場でぶっ倒れたんだ。」
 「え、どうなったの?」
 「気がつくと布団の上で寝転がってた。あの古本屋の二階にいたらしい。ここどこだーって思ってたらふすまの開く音がしていい匂いがした。ゆっくり視線を向けると、お皿を持った母さんがそこにいたんだ。母さんは心配そうにこっちを見ながら、カレー食べます、って言ってくれてさ。」
 「カレー?お粥とかじゃなくて?」
 「そう、カレー。なぜかカレーだった。母さんも母さんでおかしかったけど、父さんも父さんでおかしくて、何を思ったかその場で告白したんだ。」
 「え?なにそれ?」
 「母さんはびっくりしてカレーをこぼした。あつあつのカレーが父さんにぶっかかる。母さんはごめんなさいごめんなさいって謝ってさ。」
 「それでそれで?」
 「なんだかんだで母さんはもう一杯カレーを持ってきてくれて、父さんはそれを流し込むように食べてさ。で、ごちそうさまって言ってその日は帰った。」
 「え、帰ったの?告白の結果は?」
 「それから当分気まずくて、古本屋に行かない日が続いた。でもしばらく経つと読む本がなくなった。さぁどうしようかと。気まずさをとって本を我慢するか、気まずさを我慢して本をとるか。」
 「別の古本屋に行けばいいんじゃなかったの?」
 「おいー。そういうの言うなよー。冷めちゃうだろ。で、父さんは気まずいの覚悟であの古本屋に向かったんだ。そしたらその日もレジに母さんがいた。父さんは適当に本を選んで、タイミングを伺いながらレジに向かった。そこでこの前のお礼を言ったんだ。そしたら母さんは、よかったらこのあとお茶でも行きませんか、って言ってくれてさ。ポケットに手を入れたらきっちり本代しかお金が無くて、父さんは本をキャンセルして母さんとあの喫茶店に行った。で、改めて付き合うことになったという。」
 「へー。父さんそんな貧乏だったんだね。」
 「いや感想そこか?」
 父さんは笑った。僕も笑ったぽかぽかの昼下がり。

 「あのさ、明日から検査入院することになった。」
 「検査?なんの?」
 「うーんよくわからないんだけど、この前の健康診断でひっかかっちゃってさ。」
 「ふーん。」
 「…もしだよ。もし父さんが死んだら、そのときは母さんのこと頼むな。」
 「なに、死ぬの?検査入院でしょ?」
 「いや、すぐにとかじゃなくて、順番的に先に死ぬのはオレだろって話。そしたらって母さん頼むなって話。」
 「無理だよ無理。」
 「別に友達がいなくても、いろんなことが不器用でもいい。俊樹には強い人間になってほしい。それが父さんの願いだ。」
 「…強い人間って?」
 「それは俊樹が考えるんだ。さぁ完成!」

 髪はいつもより短く切られていて、あまり似合っていなかった。
 父さんはそれから3週間後に死んだ。本当は末期の肺癌だったらしい。享年38才。通夜、葬式が終わり、あんなに大きかった父さんは小さな木箱におさまるサイズになった。
 保険に入っていたそうで、それから少ししてまとまったお金が入った。しっかり死ぬ準備してたんじゃないか。
 二人で住むにはこの家は大きいということで、一軒家も売り払い、母さんの実家近くの小さなマンションに引っ越した。父さんの書斎にはたくさんの本があって、母さんは置いといても仕方ないよね、と言ったが、僕は絶対捨てないと言ってすべての本をダンボールに詰めた。
 一通りの手続きが終わって引越しも済んだ頃、父さんの予言?通り、母さんは弱い人になった。
 僕を認めてくれる存在がこの世から消え、僕は一人ということに気がついた。強い人間にならなくてはいけなかった。

 

 足元を見るとごっそり髪が落ちていて、ある種のジャパニーズホラーだった。鏡が無かったので今自分がどうなっているかはわからなかったが、鼻までかかっていた前髪はざくざくと切られ、猿タコスの店内はこんなに明るかったのかと初めて知った。
僕が散髪、散髪、と言ってたら、ちょっとダサいからカットって言おうか、とオシャにいさんにたしなめられた。散髪は散髪だろう、と思ったけど、たしかに”オシャにいさん”ってあだ名に”散髪”はしっくりこない。ミチロウさんはタバコを買ってくると行って店を出ていった。
 二人になった僕は、そう言えばと思い出し、オシャにいさんに、昨日は3時に電話があったんですよね、と尋ねた。

 「ミチロウさんね、川村くんに期待してるみたいだったよ。」
 「どういうことです?」
 「面白い子がいるんだけど、ちょっと乗るべき線路が違うから、きゅっと方向を変えたい。うまくいけば中川くんよりも面白いことになりそうって。」
 「いや、そんなことないですよ。僕みた…」いな人間、と言いそうになったので、僕は言葉を選び直し、「僕は自分が面白いなんて思ったことないです。面白いことは一つも言えないし…」と答えた。
 「たぶんそういうことじゃないんだと思う。ミチロウさんってなんか独特の嗅覚があってね、面白感知器がついてるんだって。で、そのセンサーにひっかかった人は、たいがいその道で活躍するんだって。まぁオレもその一人らしいんだけど。」オシャにいさんは照れながらそう話した。僕がオシャにいさんと同じようになる?ていうかオシャにいさんよりも活躍する?にわかに信じ難い。
 「まぁとにかく川村くんには期待してるみたい。夜中3時に電話してくるってことは、睡眠時間削ってでも川村くんをどうにかしたいと思ってるってことだからね。オレが尊敬するミチロウさんがそれだけ気にかけてるんだから、そこは自信をもてばいいと思うよ。まぁオレとしては、きみに越えられると聞いてちょっと癪だったんだけどさ。」
 いろんな大人が助けようとしてくれている。もう僕みたいな人間、というのは止めよう。ワクワクしている自分がいた。
 カットが終わり、ドライヤーをあてられているときにちょうどミチロウさんが帰ってきた。
 「どんな感じに仕上がった?」
 「ミチロウさんちょっと待って。そこで待機!あと眉毛整えて髪をセットするからまだ見ないで!」
 「は、はい!」あのミチロウさんが恐縮している。
 オシャにいさんは電動の小さな機械を取り出して僕の眉をさささとなでた。いい眉の形してるね、と言ってくれた。人に褒められるのなんていつぶりだろう。
 ワックスというベタベタするものを髪に塗られて、最後にカウンターに置いてあるおしぼりで顔をぐっと拭かれた。正面からオシャにいさんにのぞきこまれる。恥ずかしくて僕は目を背けた。
 「いい…すごくいい!完成!ちょっとトイレで鏡見てきな!ミチロウさんはまだそこで待機!目閉じて!ハウス!」
 僕は不安と言うか興奮と言うか、自分でも抱いたことのない感情でトイレに向かった。トイレに入るのに緊張するなんて人生で初めてだった。というか鏡を見ること自体、ここ数年ずっとしていなかった。自分の不気味な顔を見るのが嫌で、普段から鏡を見ないことにしていた。
 扉を開ける。正面に鏡があることは知っている。ゆっくりと顔を上げ、鏡をのぞきこむ…

 「ワァーーーーーーーーー!」
 「大丈夫?え、やばかった?切りすぎた?」扉の向こうからオシャにいさんの心配そうな声が聞こえた。
 僕はトイレから出て、心配そうなオシャにいさんの顔を見た。
 「これが、僕ですか?僕、こんな顔してたんですか?」
 鏡には、自分でいうのもあれだが、好青年というか、元気そうな16才の青年が映りこんでいた。ワックスをつけられた前髪は、重力に反して持ち上がりおでこが見える。横側と襟足は短く刈り上げられてすーすーしたが、触るとジャリジャリしててとても気持ちが良かった。
 「お!いいじゃん!すげーいいじゃん!スラダンの仙道みたい!ていうか川村くんこんな顔してたんだね。」
 「っすよね!川村くんが思っている以上に、顔整ってるよ!ひいき目なしでかっこいい部類だと思うよ!」
 「だよね。素材がいいよね。いやー川村くんいいなー。川村くんがいい!」
 「いや、おれの腕も褒めてくださいよ!」

 「オシャにいさんって言って褒めてるじゃん!」
 「だ・か・ら!」
 みんなで笑った。僕はうまく笑えてただろうか。僕はそれから何度かトイレに行って鏡を覗き込んだ。これが僕。これがいじめられっ子の僕。
 ミチロウさんはパソコンを開き、なにやら作業し始めた。なんだと思っていたら、店内の音楽が止まり、パパパーンパンパッパーンと音が鳴った。
 「勇者川村は、レベルが3になった。装備“おで好青年”を手に入れた。」
 僕とおしゃにいさんは顔を見合わせた。演出、ネーミング、すべてが絶妙にダサい…しかしドヤ顔のミチロウさんに対して、僕たちは何も言える気がしなかった。あとでオシャにいさんから、あれがドラクエの音だということを教えてもらった。


 オシャにいさんはその後ワックスをプレゼントしてくれて、セットの仕方を教えてくれた。
 何気なく裏面を見ると2300円と書かれていてぞっとした。店前の100円コーナーの古本なら23冊買えるじゃないか。
 「あ、あとね、川村くん姿勢悪いの直そうか。簡単なことだけど、胸を張るだけでアピアランスが全然違うから。」
 僕はものすごい猫背だ。机にうつ伏せて本を読む癖があるからそうなったと思っていたが、
 オシャにいさんいわく、自信がない人は共通してみんな姿勢が悪いらしい。自信のなさが姿勢に出るとのことだ。
 僕は胸を張ってみた。バキバキと背骨が鳴って痛みが走ったが、それ以上に目線が高くなったことに驚いた。何かわからないけど、自分が大人になった気がした。
 「いいじゃん!たぶん背筋とかもないと思うからしんどいと思うけど、意識的に胸張って過ごす習慣をつけてみ…」
 「痛っ!いたたたたた!」嘘みたいなタイミングで僕は背中がつった。筋肉がつるというのも人生で初めてで、今日は初めてなことばかりで頭が追いつかないや。そんな僕を見て二人はまた大笑いした。
 オシャにいさんは仕事があるとのことで、じゃあいくわ、と言って店を出た。僕はお礼を言えてないことに気づき、オシャにいさんを追いかけた。
 「あ、ちょうどよかった!もう一つプレゼントがあったんだった。まぁプレゼントって言っても、サイズ合うかわかんないし、オレが履いたやつなんだけど。あ、でも履いたって言っても数回だし、うんことか踏んでないから!よかったらこれ!」
 そう言ってオシャにいさんはJack Purcellと書かれた黒と白のスニーカーをくれた。オシャにいさんいわく、ニルヴァーナトイウバンドノカートコバーントイウヒトが履いていたらしく、オレの一番好きなミュージシャンだ、と教えてくれた。
 「Thank you for the tragedy. I need it for my art. こうしてオレと川村くんが会えたのもいじめのおかげだ。いじめに感謝する必要はないかもだけど、きみが思うきみなりのアートをつくってやれ!」
 そう言ってオシャにいさんは去っていった。遠ざかるオシャにいさんの背中に向かって「ありがとうございました!」と大きな声で言うと、オシャにいさんは振り返ることなくすっと右手を上げた。“か、かっこいい”と僕が思っている、とオシャにいさんは思ってるんだろうなと想像すると、笑いがこみ上げてきた。でもほんとにオシャにいさんはすごくかっこよかったんだ。
 僕はその場で靴を履き替えた。少しぶかぶかだったが、靴底がなくなるまでこれを履いてやろうと思った。店までの数歩、僕は自然と胸を張って歩いた。

 

 その日も夕方に家に帰った。母さんは僕を見て、どちらさまですか、と言った。母さん僕変わるよ、とは言えなかったが、僕はミチロウさんの真似をしてにこっと笑い、「ただいま」と言った。ちゃんと相談するから。来るべきときが来たら話すからね。

 

 

ステージ①最初の村クリア
ー自信レベルが3になった
ーオシャにいさんがパーティに加わった
ー装備「おで好青年」と「ジャックパーセル」を手に入れた
僕はぼうけんしょにセーブした。

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【国語×メディアアート】イベント『さわるデジタル』開催!うごく絵本と、自分だけの物語づくり。

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さわるデジタル
ってなに?

 「COLEYO Inc. × 1→10」による、国語とメディアアートを掛け合わせたイベント。壁に映し出した巨大絵本は、さわると動く仕組みになっています。さわって、見て、感じて、考えて、言葉にして。最先端技術を使って、自分だけの物語をつくるという、新しい学びのかたちをご提供します。


 2月3日、節分の日。
「鬼は~そと、福は~うち。」不幸を鬼に見立て、豆を投げて追い出し、福を呼び込む。世間ではそんな行事が行われている中、「鬼はそと。のそのまた続き」を考えるイベントを開催しました。
巨大スクリーンに映し出されたうごく絵本に、子どもたちは興味津々です。

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(僕、上まで届くよ!)

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(お父さん一緒にさわろ!)

 

 今回は、絵本をさわって気づいたことを、自分で考えて言葉にしていってもらいました。(お父さんお母さんは、あくまでも「手助け」。子どもの思考を進めるお手伝いをお願いしました)

f:id:stud-io:20190213143831j:plain(僕だけの物語、作成中……)

 国語力、読解力が低下していると言われている現代において、自分で考えたことや気づいたことをしっかり言葉にできる日本人が少なくなってきていると言われています。そのため、今回の「自分で考えて言葉にする」という作業は、子どもたちにとっては非常に根気のいるもの。思考するための体力を身につける練習になります。

f:id:stud-io:20190213144258j:plain(猫さわったら……)

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(動いた!!!!!)

 豆で人間に追い出された鬼をハッピーエンドに導くため、登場する青鬼やおじいさん、恵方巻などを材料にいっぱい考えました。
 自分の書いた文字が、絵本に反映されて本当に「自分だけ」の物語に。

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(みんなの前で発表。緊張するけれど、自分の物語を一生懸命音読しました)

 子どもたちの発想は、私たちの斜め上を行くものばかり。
 中には、野球チームを組んでリーグ優勝を目指す!なんてエピソードを考えてくれた子もいました!(面白い……!)

 子どもたちが考えるための材料となるのは、「なんでこうなるの?」という問い。日常の中でもその問いを大切にして、子どもたちの考える力、言葉にして伝える力を伸ばしていきましょう~!

『いじめRPG』第3章 ゲームスタート 左子光晴

ゲームスタート

 9月13日 木曜日
 いつもの時間に家を出た。母さんは「いってらっしゃい」と言って500円をくれた。僕はそのお金をポケットの中で握り締めた。漠然と申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。学校に通っていないのに、母さんは僕にごはん代をくれる。何の価値もない僕に毎朝500円をくれる。母さんはこんな僕を恥ずかしく思うだろうか…


 猿タコスには9:30に着いた。見ず知らずのいじめられっ子の僕のために力を貸してくれるんだから、遅刻はできないなと、万全を期しての30分前集合だった。猿タコスはまだシャッターが閉まっていて、しばらく高校までの一直線の道を眺めていた。再び学校に行く日は来るのだろうか。
 しばらくすると、ガララとシャッターの開く音がして、寝起きのミチロウさんが顔を出した。
 「お、早かったね。おはよう。」
ミチロウさんはあくびをしながら声をかけてくれた。猿タコスの営業時間は夕方から深夜1時で、普段はバー営業をしている。こんな朝早くに開けてくれるのは明らかに僕のためで、なんとも申し訳ない気持ちがこみ上げた。
 「お、おはようございます…あ、あの僕…」
 「とりあえず中入ろうか。ホットでいい?」
 「は、はい…あ、あの、僕いつもお金払っていなくて、だから、その…」僕はポケットから500円を取り出した。
 「あー。そう言えばそうだったね。あ、じゃあこうしよう。いじめが解決するまではコーヒー代無料。その代わり解決したら僕のお願いを一つ聞く、でどう?」
 「ミチロウさんのお願いですか?」
 「いや、別に多額の現金要求とか、ケツ掘らせろ、とかそういんじゃないから。とにかく今はお代はいらないから!」
 「え、でも…」
 「こういう時はありがとうございます、って言っとけばいいんだよ。」
 「あ、ありがとうございます…」
 ミチロウさんはにこっと笑った。とりあえず外は暑いからということで僕たちは店の中に入った。


 ミチロウさんには聞かないといけないことがあった。出会ってたかだか2日ではあるが、僕はこの人になら裏切られてもいいと思い始めていた。だけどずっとひっかかっていることがある。それは、どうして僕みたいないじめられっ子を助けるといった、めんどくさいことを引き受けたのか。なんなら自分から提案してきたくらいだ。何か裏がある。裏があってもいい。だけどそれを知らないことには、どこか全力で飛び込めない自分がいた。
 いつも通りカウンターに座ると、思い切って質問してみた。
 「ミ、ミチロウさん。あの、どうして僕を助けてくれるんですか?」
 「うーんとね、理由は二つあって…あ、まぁいいや。理由は一つで、人生のコンセプトにそってるだけだね。」
 「コンセプトですか?」
 「どういう風に生きて生きたいかっていう指針というか、これに沿って生きていけばオッケーみたいな決め事だね。楽しく、気持ちよく、適当に、っていうのがボクの人生のコンセプトなの。」
 「ど、どういう意味ですか?」
 「ざっくり言うと、“楽しく”は自分が楽しく、楽しくなさそうに見えるものも楽しむ視点・姿勢をもつこと。で、“気持ちよく”は、関わる人が嫌な気持ちにならないよう、気持ち良い状態になってもらうということ。最後の“適当に”は、頑張ったり、努力したりするんじゃなく、適っていて当たっている適切な手段をとるってことなんだけど、なんとなくわかるかな?」
 「まぁなんとなくは…」
 「だからさっきの、なんで助けたか、という問いに対して答えると…川村くんがボクに頼るという選択をしてくれた。つまりボクに関わったわけだ。そんな川村くんを気持ち良い状態にしてあげたい。適って当たっている手段を一緒に考えて解決していきたい。そんな一連を自分が楽しめそうだな、と思ったから川村くんを助けようと思った。それに川村くんはもったいない人だからね。」
 「も、もったいないって何ですか?」
 「例えば川村くんとか、面白いもの持ってるはずなのに、ちょっとやり方を間違えてるからそれを発揮できないままにいる。そういうのって社会的にすごくマイナスだと思うんだよ。だから川村くんのような、もったいない人が乗っかってる線路をきゅっと動かしてあげて、その力を発揮できるようにしてあげたい。」


 ミチロウさんの言うことは腹落ちしたようで、そのすべてを理解することできなかった。それはきっと今の僕は自分のことで精いっぱいで、ミチロウさんにも母さんにもたくさん迷惑をかけているからだろう。関わってくれた人を気持ちよくだなんて、おこがましくも言えない。
 「も、もう一つだけいいですか?」
 「どうぞ。」
 「ぼうけんのしょって、あれ、なんですか?」
 「え、川村くんゲームとかしない?」
 「ま、まったくしないです…」
 「あ、そーなのか…まぁいいや。とにかく説明するから、見せてもらってもいい?」
 僕はぼうけんのしょをカバンから取り出した。昨晩は夜中のテンションも相まって、生々しいことまで書いてしまった。よく我慢したね、くらいは声をかけてくれるだろう。でも、もしここでミチロウさんにひかれたらどうしよう。もう取り返しがつかない、なんて言われたらどうしよう。僕は不安でぐっとノートを握りしめた。
 だけどここまで来て逃げるわけにはいかない。僕は自分の意志でノートを書き、自分の意志でここに来た。勇気を出すんだ。
「…こ、これ、読んでください。」
 ミチロウさんは大事そうにぼうけんのしょを受け取り、タバコに火をつけた。真剣な眼差しでノートを読む。たまに天井を見上げ、うーんと考えた後に、またノートに目を戻す。僕はまるで面接でも受けているかのような気分になった。タバコを吸い終え、一呼吸置いてミチロウさんは僕の目を見てニコッとした。
「いじめRPGの始まりだ。」
 僕は肩透かしをくらった気分になった。期待していた言葉どころか、よくわからないコメントが返ってきたからだ。
 「ボクに相談したことでやっと川村くんはスタート地点に立ったというわけだ。」
 今までも僕はいじめと戦ってきたと思っていた。これからがやっとスタートだって?


 一般的にはどう言われてるかわからないけどさ、と前置きをして、ミチロウさんは自信ありげに話した。
 「いじめってね、冷静に対処できる学外の人間に相談できれば、ほとんど解決したようなもんなんだよ。いじめが解決しない一番の問題は、川村くんのように誰にも相談せず、我慢して、一人で抱え込んでしまうことなんだ。」
 我慢したことを褒めてもらえると思っていた僕は、自分の行為を後ろめたくなった。
 「だ、だって友達もいないし…先生に言ったらいじめが余計ひどくなったりしそうで…親には心配かけられないっていうか、なんか家族の恥みたいに思われるのも嫌だし、それにどんな行動をとられるのかもわからないし…」
 「わかる。非常にわかる。ただいじめは我慢するとさらに悪化するんだ。」
 「たしかに…最初の頃よりどんどんエスカレートしています…」
 「いじめる動機には大きく二つあって、一つは今の地位を守り抜きたいと思っている保守的な気持ち。要するに、いじめられる側にまわるのが恐いからいじめを継続しなければーと思うこと。もう一つは単純にいじめることに楽しさを見出している気持ち。これが厄介でね…陰口から墓場までって聞いたことある?」
 「き、聞いたこと無いです。なんです、それ?」
 「ボクがつくった!」
 「じゃあ知るわけないじゃないですか!」
 「限界効用逓減の法則ってのがあってね。簡単に言うと、人間はあることで一度満足しちゃうと、次はさらに上のレベルじゃないと満足できないって言う心理があるんだ。つまり、陰口レベルで始まったいじめは、パシリ、暴力、金銭搾取、とどんどんハードなものになっていき、最後は自殺に追い込むまでエスカレートしていくって話。」
 「つ、つまり最初にいじめに対してNOと言わないといけないってことですか?」
 「ご名答!ベストなのは早いうちにいじめを止める。もっと言えばいじめの芽を摘んでおく、というのがいいんだけど…正直これは難しいんだよね…」
 「どうして難しいんですか?」
 「理由は三つあって、1.我慢すればいつかいじめは終わるんじゃないかと思ってしまうこと。2.いじめは大人に見つからない場所で行われるケースが多いこと。3.学校側は主体的にいじめを見つけようとはしないこと。」
 「…まさにそうでした。いつかいじめっ子たちはいじめに飽きるんじゃないかとか、夏休みに入れば終わるんじゃないかとか、我慢してればいつか終わると思ってました…」
 「それを、いじめマヌーサという。」
 「なんですかそれ?」
 「マヌーサってのは相手を幻に包んで攻撃の命中率を下げる呪文なんだけど、まぁそんな話はどうでもよくて…行動したら余計にいじめがひどくなるかもしれない。だからひたすら我慢する。我慢してればいつか終わりがくる、という思い込みこそがいじめマヌーサ。しかし実際は?」
 「陰口から墓場までですか?」
 「そう。ゲーム上ではマヌーサは何ターンかすれば消えるんだけど、いじめマヌーサは行動するまでずっと消えない。その思い込みをなくさないことにはいじめは終わらないんだ。」
 「言われてみればそうだ…2.もミチロウさんの言う通りで、あいつら休み時間とか放課後とか、先生が見てないところを狙ってくるんですよ…」
 「いじめっ子もそんなに馬鹿じゃないからね。現場を見られれば、怒られる、罰せられるリスクがあるから大人の見えないところでいじめを行う。あとあとそこを狙うんだけど…まぁ今はいいや。で、3.なんだけど…」
 「きょ、教師は終わってるってことですか?」
 「いや、そうじゃない。学校の先生はほんとに忙しく一生懸命頑張っている。」
 「じ、じゃあ誰が悪いんですか?」
 「強いて言うならば、評価制度だね。」
 「制度ですか?」
 「いじめが起こると、責任をとるのは誰だと思う?」
 「校長とかですか?」
 「その通り。だから校長や教頭といった学校のお偉いさんは、さらにお偉いさんの教育委員会の評価を恐れている。だからいじめを隠したり、発覚したとしてもなるべく小さめに報告する傾向があるんだ。そしてその学校のお偉いさんたちが教師の評価を決めている。つまり…」
 「教師たちは自分に不利な報告をしない?」
 「お見事!学校のお偉いさんにとって都合のいい教師が評価される。極端な話、“生徒にすごく好かれるけど校長に嫌われる先生”よりも、“生徒のためには何もしないが校長にとって都合の良い行動をとる教師”のほうが評価される。自分の評価が下がると給料や転勤にも反映されるから、クラスで問題があってもなるべく他の教師に相談しない。だからいじめっぽいなと思っても教師は動かない。主体的にいじめを見つけようとしない、という説明でした。」

 「…悲しいですね。」
 「勿論すべての学校がそうだってわけじゃないよ。でもそういうケースがありうるからこそ、教師にはいじめの相談よりも、いじめの報告をするほうがいい。」
 「いじめの報告ですか?」
 「相談レベルだと教師が動かない可能性もあるし、下手に動かれていじめがさらに苛烈になる可能性があるでしょ?」
 「か、確実にもっとしんどくなると思います。」
 「だからいじめの証拠を集めて事実を伝え、教師が動かざるを得ない状況をつくるんだ。」
 「わかるんですけど…でもそんなことできないですよ…」
 「じゃあできるようになるにはどうすればいいかひとつひとつ考えてみよう!何が難しいと思う?」
 「しょ、証拠を集めるってどうするんですか?」
 「川村くんスマホは持ってる?」
 「ほとんど使わないですけど、いちおう…」僕は家族の連絡先しか入っていないスマホを手渡した。ミチロウさんは何やらスッスとスマホを触り始めた。
 「これ新品?」
 「いえ、2年使ってます。」
 「おぉ…なるほど…ちなみに機能は一通りわかる?」
 「いえ、僕が使うのはカメラと電話くらいです。」
 「LINEとかInstaとかのSNSは知ってる?」
 「き、聞いたことはありますけど、よくわからないです。」
 「…川村くんほんと面白いね。最近のスマホはさ、ほんと性能がよくてさ、けっこうクリアに録音できるんだよ。」
 そう言ってボタンを押すと、僕の声とミチロウさんの声が録音されていた。
 「へぇー!こんなのがあるんですね!」
 「これは、ガラケーの時代からあるんだけどね…とにかくこれをポケットにでも忍ばせてれば声は録音できる。証拠集めについてはまた詳しく話すよ。」
 ミチロウさんはなんでも知ってるすごい人だ。父さんみたいだ。
 「さて、次に難しいのは教師への報告かな?」
 「そ、そうですね…ていうか、やっぱりいじめについて誰かに話すこと自体が正直難しいです…うまく言えないけど、なんか負けた気がするんですよね…」
ミチロウさんはキッチンに向かい、包丁を持って帰って来た。
 「な、なにするんですか?」
 「質問です。川村くんの目の前には殺人犯がいます。あなたならどうしますか?1.警察を呼んで助けを求める。2.人に頼ると負けた気がするので自分で立ち向かう。」
 「そ、そりゃ1.ですよ。助けを求めますよ。」
 「では問題です。日本において、殺人件数と小中高生の自殺件数ではどちらが多いでしょう?」
 「え?それは…殺人のほうが多いんじゃないですか?」
 「正解はどちらもほぼ同じでした。」
 「そうなんですか?」
 「どちらも年間で300人台なんだ。川村くんは昨日いじめを苦に自殺しようとしていた。なのにいじめに負けるのが嫌で助けを求めない。かたや殺人犯を前にすると助けを求める。おかしいと思わない?」
 「それは…殺人は犯罪だけど…」
 「いや、いじめも犯罪だよ。ちなみに今川村くんは証拠さえ集めれば、かなりの確率でいじめっ子たちを法で裁くことができる。」
 「ほ、ほんとですか?」
 「ぼうけんのしょを見る限り該当しそうなのは、侮辱罪、名誉既存罪、暴行罪、隠匿罪、傷害罪、恐喝罪、強要罪、窃盗罪、器物損壊ってとこか。落合2.7人分の夢の八冠王ですなー…って古いか。」
 「そ、そんなことになってたんだ…」
 「ではもう一度質問です。いじめを苦に自殺しようと思っていたあなたは、そのことを教師に報告しますか?」
 「…わかりました…報告します。証拠集めて報告します。」
 「お見事っす!最大限サポートするからさ、大丈夫だよ!」
 ミチロウさんに大丈夫って言われると、ほんとに大丈夫な気がしてくる。不思議だ。
 

 「でも、あれですね。ミチロウさんに出会えたから僕はよかったものの、もしそうじゃなかったらどうすればよかったんですかね?」
 「いい質問だね。考えてみよう。もしボクがいなかったとき、川村くんはまず初めにどういうアクションをとるべきだったと思う?」
 「まず初めは学外の人間への相談ですよね?」
 「そうだね。じゃあそれは誰に?なんて相談する?」
 「か、考えたんですけど、やっぱりいないんですよ。ほんとに僕にはミチロウさんしかいなかったんです。なんて相談するかって言われても、助けてください、としか言いようがないです。」
 「そこを理解する必要がある。いいかい。いじめられっ子が初めにするべきなのは、どういうアクションをとってほしいかを明確にし、一緒に動いてくれる人間が現れるまで訴え続けることだ。」
 「そんなの…できないですよ…」
 「難しいと思う。でもいじめから抜け出すには、それくらいのことをしなければならない。いつかいじめは終わるだろう、誰かが助けてくれるだろう、という受身の姿勢では絶対に解決しないんだ。一人の人間が頼りなかったとしてもそこで絶望してはいけない。数撃ちゃ当たるで、相談していくしかない。」
 「だからそんな数撃つほど学外に知り合いがいないんですって…」
 「とっておきの存在がある。ベストなのは親だ。」
 「親はだって…」
 「家族マヌーサにもかかってるね。例えば川村くんに子どもがいたとして、もしその子どもがいじめられたとする。でも子どもは川村くんに心配されるのが嫌だから、川村家の恥になるからと相談をしてくれない。川村くんならどんな気持ちになる?そのとき川村くんは、子どもを心配するのが嫌かな?自分の子どもを恥に思うかな?」
 「…思わないですね…どちらかと言うと、相談してくれないことが悲しいというか、自分が信頼されていないことにやるせなくなります。」
 「ほとんどの親は子どもに好かれたいと思っている。自分のすべてを投げ打ってでも子どもを守りたいと思っている。それが一般的な親の感覚だよ。
 「だけど、ことを荒立てて、逆にいじめが深刻になるかもしれないし…」
 「だから話すんだよ。どういうアクションをとってほしいか。そして約束するんだ。熱くならないでほしいと、冷静に対処してほしいと。そうすればきっと親も理解してくれるはずだよ。」
 「たしかにそうですね…納得しました。」
 「ここまでをまとめると、こういうことだね。」

・いじめは一人で抱え込むことで、事態は悪化する
・学外の人間(親がベスト)を巻き込んだ時点で、いじめ解決がスタートする。
・どういうアクションをとってほしいかを伝える。熱くならず、冷静に対処してもらうことを約束する
・教師にはいじめの相談ではなく、いじめの事実を報告し、適切なアクションをとってもらう
 「川村くんはボクに相談をしたことで、とにもかくにもこのRPGをスタートできたんだ。」
 「何かあまり実感がないんですが…」
 「人に話すのは勇気がいるよね。だけど、話してしまえばどうってことじゃない。一人でボールを持つんじゃなくて、適切な人にボールをパスしちゃえばいいんだよ。そうしてたくさんの人を巻き込んでいけばいいんだ。」
 「な、なんかあの…ほんとありがとうございます…何から何までほんと…」
 「ここからが本当の戦いだから。ボクの仕事は、いじめ解決RPGのストーリーとルールを教えること。あと初期装備と必殺技を授けることしかできない。でもこのRPGの主人公はきみなんだ。プレイヤーがいなければゲームはクリアできないだろ?」
 「ぼ、僕が…主人公…」
 「やるだけやってみようよ。きっと勇者になれるよ。大丈夫。これからきみには強力なパーティーができるから。」
 「パーティー?」
 「まぁ楽しみにしてなさい。で、どうする?ストーリーとルール説明聞く?」
 

 何も失うものはないと決めたじゃないか。踏み出せ。幸せな人生を送るんだ。自信ある人間になるんだ。

 

 「あの…お願いします!教えてください!」
 ミチロウさんはニコッと笑った。僕は「ぼうけんのしょ」を開き、一語一語聞き漏らさないようにセーブしていった。

 

【概要】
・いじめRPGは、自信レベルを上げながら、パーティーをつくり、いじめを解決していくゲーム


【ストーリー】
・ステージ①最初の村:初期装備と初期パーティーを手に入れる
→弱みの中から比較的コントロールが簡単なものを改善する
→助けてくれる人には全力で頼る

・ステージ②酒場:自信レベルを上げる
→弱みを克服しつつ、強みを生かす方法を見つけ、どんどん強みを伸ばしていく

・ステージ③魔王の城:ラスボスに宣戦布告する
→いじめっ子に対してNOを突きつける
→いじめが止まらない場合、親・教師に報告する
→親・教師に対してはどういうアクションを取って欲しいかを伝え、冷静に対処することを約束してもらう

・ステージ④ダンジョン:伝説の装備を集める旅に出る
→いじめの証拠を集める

・ステージ⑤魔王の城:伝説の装備を使ってラスボスに挑む
→いじめ当事者、親、校長・教頭に事実を提示し、“いじめ“を倒す

・裏ステージ:パーティーをつくる
→友人をつくり一人という状況から脱却する

【ルール】
 1.ぼうけんのしょには、日ごろの思いやいじめの内容など、なんでも書き込むこと
 2.ストーリーの順番どおりに進んでいくこと
 3.自信レベルは弱みを克服するよりも、強みを伸ばすほうが上がる

 

 ミチロウさんからRPGゲームというのはだね…と説明を受けたが、僕にはあまりよくわからなかった。そんな僕に反してミチロウさんはのりのりだった。この人、さては楽しんでるな。
 それでも僕は嬉しかった。人のいじめを楽しまないでくれよ、という思いよりも、ミチロウさんへの申し訳なさが和らいだからだ。僕はこれからどうなっていくのだろうか。

 

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『いじめRPG』第2章 ぼうけんのしょ 左子光晴

ぼうけんのしょ

 

9月12日 水曜日

僕は制服を着ていつもの時間に家を出た。靴箱から中学の時に履いていた、機能性だけの黒の運動靴を取り出した。いつも胃が痛くなる玄関。だけど今日は痛くならなかった。その代わり、僕の心臓はトクトクトクと早い鼓動を刻んでいた。どこかで味わったことのある感情。だけど思い出せない感情。

切符を買う。電車に乗り込む。会社に向かうサラリーマン。学校に向かう学生。みんなそれぞれがいつもの場所に向かう。僕が向かうべき場所は…

 

学校の人間に会うのが嫌だった僕は、環状線を無駄に二周した。その間僕は、昨日ミチロウさんから出された問題を考えていた。「川村くんはどんな人間になりたい?」

時計を見ると10時をまわっていた。答えが出ぬまま電車を降りる。考えながら歩く道のり。心臓がトクトクしている。ん?何かが変わることに期待している?

やめろ。落ち着け。期待なんてするな。信じるな。どうせ何も変わらない。何も待ってはいない。鎮めろ。僕みたいな者は。僕みたいな者は。僕みたいな者は。僕みたいな者は。僕みたいな者は。

少し落ち着いた。僕はいつもの、僕みたいな者になっていた。これでいい。

 

猿タコスに着くと、ミチロウさんは店の前に立っていた。

「おはよう。」

「お、おは、おはようございます…」

「学校?コーヒー?」

「あ、えぇ、あの…コーヒーを…」​

ミチロウさんはにこっと笑って、店に入っていった。僕はもう一度、僕みたいな者、と唱えて、猿タコスの扉を開けた。

 

昨日と違う曲がかかっていた。

「これもうちに遊びに来てくれるバンドの曲なんだ。川村くんは音楽聴くかい?」

「い、いや、全然…」

頭の中では言葉がたくさん溢れているのに、どうして人を前にするとうまくしゃべれないんだろう。

「今日はなにしましょ。」

「いつもので。」

言ってからおかしなことに気づいた。昨日初めて来たばかりじゃないか。なのにいつものでって…顔が熱を帯びていることに気づく。は、恥ずかしい…死にたい…

「いつものね。」

僕はぐっと俯いていたのでミチロウさんの顔をよく見ることができなかったが、たぶんにこっとしていた。

銀のやかんからカップにお湯が流し込まれる。カップをあたためてお湯を戻し、サイフォンでコーヒーをゆっくりと注ぐ。ミチロウさんはこの動作を今まで何回やってきたのだろうか。その動作に無駄は無く、呼吸をするかのような手つきで一杯のコーヒーができた。

「どうぞ。」

「ど、どうも。」

砂糖を二杯、クリームを垂らす。一口飲むとやはり美味しかった。美味しい。どこか懐かしいこの味。

「あ、あの…」

驚いたことに僕から話しかけていた。気を許してしまった。失敗だ…でも話しかけた手前何か話さなければいけない。

「ぼ、僕、あの…き、昨日はありがとうございました。」

「とんでもない。」

沈黙が流れる。店内には、よくわからない曲が流れていた。「若者よ、さぁパンケーキほじくれ。」なんだこれ。僕はくすすと、気持ち悪い笑い方をしてしまった。

「どれじんてえぜって曲なんだ。いったい全体どれがジンテーゼなんだって曲。ジンテーゼってわかる?」

「いえ…」

「簡単に言うと、ある考え方とそれに対立する考え方があったときに、それらを共存させる新たな考え方のこと。ほとんどのことは、矛盾を含みながら存在してるのかもしれないね。」

「ど、どういうことですか?」

「僕の理解で言うと、例えば、人間には生きている意味がある、って考え方と、いや、人間が生きる意味なんて無いよ、って考え方がある。でもどちらが正解なんてことはない。だから、良い感じに人生が進んでる時は、人生には意味があるぜウォーッて思えばいいし、人生がうまくいかない時は、別に人生に意味なんてないし気楽に生きればいいか、って思えばいい。両者の矛盾を抱えながら、楽しく、気持ちよく、適当に、生きていけばいいんじゃないかってボクは思うんだ。それがボクの人生のコンセプトでこれはちょっと話が長くなるんだけど…って、え、どしたどした?」

あれ、ミチロウさんの顔がぐにゃぐにゃになっていく。困ってる?どんどんどんどんぐにゃっていく。なんだこれは。

僕は知らないうちに泣いていた。涙を流すなんてあの時以来だ。涙はなかなか止まらなかった。それはさらさらとしていて、出せば出すだけ、何か身体の奥底からどろっとした汚泥が流れていくような気がした。だけどすべては流れない。すべてが流れることはない。

曲が変わる頃に、やっとこさ僕の涙は止まった。

「ぼ、僕の話、聞いてもらってもいいですか?」

ミチロウさんはにこっと笑ってくれた。

拙い言葉だった。頭の中にある言葉が声帯を通るときにごそっと抜け落ちる。それでも僕は必死にしゃべる。自分がダメな人間であること。自分がいじめられていること。そして昨日、死のうと思っていたこと。

流れていた曲はいつしか止まっていた。

 

「ぼ、僕、どうしたらいいですかね?」

「ボクにヘルプを求めている?」

「は、はい…」

そんな直球で言われると、ぐぅ…ってなる。

「どういうヘルプを求めてる?」

「も、もういじめられたくないんです…強い人間にならなくちゃいけないんです。」

「強い人間ってのはどうして?」

「それは…まぁ…」

「じゃあまた話したくなったらでいいや。で、ボクに求めてるのは、いじめられないようにするにはどうすればいいかアドバイスがほしいということでいいかな?」

「は、はい…」

「なるほど。それは、いじめられっ子じゃなくなりたいってこと?いじめっ子をこらしめたい?友達がほしい?」

「い、いじめっ子をこらしめたら、いじめがなくなるし、友達もできるんじゃないですか?」

「なるほど、それも一理ある。だけど本当にそうかな?例えばいじめっ子に何らかの社会的制裁を与える。一時的にいじめはなくなるかもしれない。だけどひょっとすると、いじめっ子を不憫に思う人間が出てくるかもしれない。それに川村くん自体は何も変わっていないからたぶん、いやきっとまた別の人にいじめられる。」

「じゃ、じゃあ僕はどうしたらいいんですか?」

「川村くん自体が変わることが大事なんじゃないかな。」

「い、いじめられるほうが悪いってことですか?」

「違う。けど違わない。いじめは最低だと思うよ。人の人格を踏みにじり、人を死にいたらしめることだってありうる。だけど、いじめは絶対になくならない。ちなみにいじめって学生生活に限られた事象だと思う?」

「は、はい…」

「悲しいことに、いじめは学生の間だけではない。大人になっても、社会人になっても、老人になったっていじめというのは存在する。ちなみに、いじめられっ子は一生いじめられるケースが多い。転校する。卒業する。環境が変わったところで、その子自身が変わっていなければ、ほとんどのケースで再びいじめられる。」

「ど、どうして?」

「いじめられる人には特徴がある。そしてその特徴は全世界、全世代でほとんど共通している。だから環境が変わっても、その人自身が変わっていなければ、ずっといじめられっ子のままなんだ。」

「あ、あの、ミチロウさんの言ういじめってなんですか?」

「うーん…有利な立場の人間が、愛なくして不利な立場の人間の心を踏みにじることだと思う。」

「こ、心ですか?」

「そう、心。物理的暴力や、恫喝・無視・辱めなどの精神的暴力。金銭搾取や、器物破損など、いじめにはいろんなレパートリーがある。でもそれらは枝葉の話で、その本質は心を壊す行為なんだと思う。例えばかつあげされてお金を盗られたとする。その行為によって感じるのは、きっと悔しさだったり、反抗できなかった自分への情けなさだったり、親への申し訳なさだったりするんじゃないかな?そうして心が傷つく。」

「た、たしかに…」

「お金なんてバイトして稼げばいい。物理的暴力も、身体は自然治癒で勝手に治る。だけど心はなかなか治らない。気力がある限り、ほとんどのことは実現できるのに、その気力生成センターをぶっ壊されると。人は何もできなくなる。」

 

「ぼ、僕は、僕はどうすればいいですか?」

「昨日川村くんに聞いたよね?人はなんのために生きてるか。」

「…考えました。すごく。でもなんのために生きてるかなんてわからないです。ていうか…」

「川村くんはきっと、どうしたらいじめられなくなるかを早く知りたいと思ってるだろうけど、この話が一番の本質だと思うから頑張って聞いてほしい。」

「は、はい…」

この人はなんでもお見通しだ。

「人はなんのために生きてるか。自分で聞いておいてなんなんだけど、なんのためにとか、生きる意味なんて、ほんとは無いと思うんだ。」

「無いんですか?」

「生物としての人間は、子孫を残すという目的があるのかもしれない。でも人としての人間には生きる意味なんてない。言ってしまえば、生まれてきたついでに生きているんじゃないかと思う。」

「つ、ついで…」

「ボクはそう思う。でもついでに生きるなら、どうせなら幸せに生きたほうがいいと思う。それがボクの思う、なんのために生きるか、の答えだ。」

「ミ、ミチロウさんのいう幸せって何ですか?」

「これはちょっと屁理屈かもしれないけど、今置かれている状態が幸せって言い切れれば、幸せだと思う。」

「し、幸せに生きるにはどうしたらいいんですか?友達ですか?お金ですか?」

「友達やお金も大事だと思う。だけどそれらは一つの要素でしかない。それらが不足していても幸せにはなれる。」

「じゃあどうすれば?」

「自信を持った人間になること。」

「自信…ですか?」

「そう、自信。言い換えれば幸せだって言い切る力。今の川村くんは幸せかい?」

「し、幸せでは…ないです。」

「自分に自信はあるかい?」

「ありません…」

「自信を持つことができれば川村くんは変われる。きみの人生はきっと幸せなものになると思う。そして…」

「そして?」

「いじめられっ子に共通する要素は、幸か不幸か、自信が不足していることだ。つまり自信を持った人間になれば、いじめもなくなる。」

「本当ですか?」

「本当。」

「…か、考えさせてください…ちょっといろいろ急すぎて…考えたいです…」

ミチロウさんは、それまでにこやかに話していたが、きりっと真面目な表情になった。

「川村くん。あえて強めに言うよ。考えるって何を?どういう条件を満たせば判断できるの?」

「え、いや、それは…」

「何を考えるかもわからずとりあえず考えるの?判断材料はいつそろうの?100%にならないと判断できないかい?そうこうしているうちにチャンスを失うんだよ。勝負できる人間っていうのは、言い換えれば決断できる人間だ。」

こんなに圧迫されると僕は頭が回らなくなる。もうわからない。なにをどうしたらいいのかわからない。

「川村くんには選択肢がある。ここでいじめに立ち向かうか、逃げるか。」

「…逃げたらどうなりますか?」

「逃げることが悪いとは言わない。いじめが発覚したら学校を休みなさい、といじめの本にはだいたい書いてある。あれの本質は気力を回復することにある。で、気力が回復してきた頃にまた学校に行く。またいじめられ、気力がなくなる。その繰り返し。その連鎖から抜け出すには…」

「じ、自信をつけること?」

「正解!このステップを飛ばして、いじめという事象だけを解決してもなんの意味も無い。もうわかるよね?」

「…自信のない人間はまたいじめられる。」

「わかってきたね!要は自信を回復できれば、別に今いじめに立ち向かわなくてもいいとも思う。でもそれは問題を先送りにしてるだけで、いつかは自分に向き合う日が必ず来る。時間が経てばそれだけ腰が重くなる。且つ、その日が来るまできみは人間不信に陥ったまま、ビクビクしながら生きていくことになる。その時川村くんは言うだろう。あの時いじめに立ち向かっておけばよかったって。それに…」

「それに?」

「川村くんは今一人じゃない。きみにはボクがいる。」

 

 

みんなよりも劣っている僕は学校でも一人でいることが多かった。だけどそれは苦痛なことではなくて、一人で本を読むほうがよっぽど楽しかった。それに僕は一人じゃなかった。父さんがいる。本の話をできる父さんがいる。

母さんは友達がいない僕を異様に心配した。そんな母さんのことを僕はあまり好きじゃなかった。なにかにつけて、学校は楽しい?友達はいる?と聞いてくる母さんが、何をそんなに心配しているのかが当時の僕には理解できなかった。そんなに友達がいないとダメなのか?

 

たしか小4の時だったか。僕はいつもの喫茶店で父さんに質問してみた。

「父さんさ、友達っている?」

「たくさんいるよ。会社に入ってからは友達って呼べるやつはそんなにできなかったけど、学生時代はたくさん友達がいて、今でもたまに集まるよ。」

「そっか…」

「どうした?友達がいなくて悩んでるのか?」

「うーん…なんていうか、別にいなくても僕は困らないんだ。だけど、友達がいないと母さんが心配するから。なんで友達がいないとダメなのか知りたかっただけ。」

「友達がいないとダメな理由か。うーん…まぁ結論から言うと、友達がいなくてもダメではない。だけどいたほうが楽しい、というのが父さんの意見かな。」

「どういうこと?」

「俊樹には心を許して話ができる人はいるかい?」

「父さん…かな。」

「ありがとう。それは素直に嬉しいよ。じゃあ父さん以外は?」

「うーん。母さんには正直気を遣うし、学校には誰もいないかな。普通に会話はできるけど、心を許したりはできないよ。」

「それはどうして?」

「僕はみんなみたいになれない。身体も小さいし、運動もできないから、だからずっと本を読んでる。本のことなんてどうせ話してもわかんないだろうし、ずっと一緒にいなきゃいけないのも嫌だし。」

「なるほど。父さんのせいでもあるんだけど、たしかに俊樹はそのへんの大人よりもたくさん本を読んでるから話は合わないかもな…」

「だから友達なんて別にいらないんだ。」

「ほんとにそうかな?共通の話題で盛り上がれる人で、且つずっと一緒にいる人を友達だと俊樹は思うかい?」

「うん。みんなドッジボールしたり、ゲームの話したり、気が合うもん同士で仲良くしてるし。トイレ行くときもみんな一緒に行くし。」

「それも一理あるかもしれないな…うーん…昔さぁ、父さんには小説家になる夢があったんだ。」

「ほんとに?」

「大学を卒業して一度は就職したんだけど、やっぱり本が書きたいなと思って、それで仕事を辞めたんだ。そしたら今まで仲良かった会社の人とか父さんに見向きもしなくなってさ。毎日のように顔を合わせて、毎週のように遊びに行ってた人たちだったのに。」

「最低だね…」

「彼らは父さんが同じ会社に所属しているうちの一人としか思っていなかったんだと思う。まぁ会社ってそういうもんなのかもしれない。そしたら、高校からずっと仲の良かったやつが急に連絡してきたんだ。この喫茶店にも二人でよく来たな。」

「それでそれで?」

「そいつとは数年連絡を取っていなかったのに、風の噂で父さんが小説家を目指してることを聞きつけたそうで、その夢応援するよ、って言ってくれたんだ。」

「いい人だね。」

「だけど、いざ小説家になるぞーと思っても、何を書いていいかわからなかった。それで父さんは貯金を食いつぶしながら毎日だらだら過ごしてたんだ。」

「終わってるね…」

「ええそれはもう…ほんと腐ってましたよ。腐れ神でしたよ…母さんにもそれで一度フラれてるからな…ってそんな話はどうでもよくてだな…その友達は父さんに対してめちゃくちゃ怒ってくれたんだ。」

「怒られたの?」

「別にそいつに迷惑もかけてないのに、そいつは本気で怒ってくれた。そしてどんな物語にすべきか一緒に考えてくれたんだ。父さんはそのとき思った。友達ってこういうことなのかなって。」

「どういうこと?」

「楽しいときだけ一緒に喜んでくれるんじゃなくて、うまくいかないときだけ怒るんじゃなくて、どんな父さんでも好きでい続けてくれる相手。それが友達なんだって。だから、ずっと一緒にいるのが友達じゃないし、共通の話題をするのも友達じゃない。どんな状態でも見捨てず、自分を肯定し続けてくれる存在が友達なんだって。父さんはそう思う。」

「うーん…やっぱりよくわかんないよ。」

「別に無理してつくる必要は無いけど、いつか俊樹にもそんな友達ができるといいな!」

 

「あ、そうだ。俊樹も本書いてみたらどうだ?たくさん本を読んでるんだから、一本くらい書けるかもよ?」

「無理だよ無理。父さんでそんなに苦労したんだから僕にはとうてい…」

「やってみなきゃわからないだろ?別に小説家になれ、とかじゃなくてさ。何も気負わず書いてみたらいいんじゃないか?父さん読んでみたいよ。」

「ほんとに読んでみたい?馬鹿にしない?」

「馬鹿になんてしないよ。父さんのために書いてくれよ。」

「うーん…わかった。じゃあ書いてみる!」

「よし!そうと決まったら今から文房具屋に行こう。ノートとペンを買ってやるよ。」

「…ペンは父さんが使ってたやつがいいな!」

「え?あぁ、別にいいけど。」

「やったー!じゃあいこ!ノート買いにいこ!」

「おう、いこうか。」

「あ、そうだ…で、結局小説はどうなったの?」

「書いたよ。で、賞に応募した。」

「結果は?」

「ダメダメ。二次選考にも通過せずに落ちちゃった。そしたらなんか踏ん切りがついてさ。で、今の会社に就職して、母さんとやり直して、結婚して、俊樹が生まれて、みたいな。」

「やっぱりペンもらうの止めようかな…」

「おい!もうだめ。絶対父さんのを使わせる。」

「だってそのペン使ったら書けなさそうじゃんー。」

「うるせえ!」

「…で、その友達とは今でも会うの?」

「会うよ。今は海外にいるみたいでなかなか会えないけどな。」

「いつか会ってみたいな。父さんの友達。」

「また紹介するよ!」

 

その友達と会うことはなかった。そして僕に友達ができることもなかった。

 

 

 

「友達…できますかね?ぼ、僕でもいじめに…立ち向かえますかね…」

「それは川村くん次第だよ。さぁどうする?」

「ぼ、僕…変わりたいです…助けて…ください!」

「川村くんがんばろう。川村くんは大丈夫。川村くんならきっとうまくいく。」

 

僕は再び泣いた。一日に二度も涙を流すなんて、生まれて初めてだった。ミチロウさんはにこっと笑っていた。僕みたいな者の話を聞いてくれる人がいる。僕みたいな者のために力を貸してくれる人間がいる。今の僕は一人じゃなかった。僕みたいな者ではなかった。

 

 

その日は夕方に店を出た。明日も同じ時間に来ると約束をして。

家に帰ると、僕はミチロウさんからもらった一冊のノートを取り出した。表紙には「ぼうけんのしょ」と書かれていて、意味を尋ねると、明日説明するね、と言われた。”昨日”死のうと思っていた人間に”明日”がある。わからないもんだな。もうどうなってもいい。ミチロウさんを信じて当たって砕けろだ。ダメだったときは…そのときは…その時考えよう。

ノートをめくると、でかでかとこう書かれていた。

【ゴール】

いじめを倒し、川村くんが自信を持っている状態

 

いじめを倒すか…僕の力でいじめに立ち向かう。できるのか…?だめだだめだ。信じろ。信じるって決めただろ。

その勢いで僕は2ページ目を開き、ミチロウさんから出された課題に対する解答を書き込んでいった。

 

【現状分析】

・自分の強み(他の生徒と比較したときに勝っていると思うところ)

→読書量

 

・自分の弱み(他のいじめられっ子と比較したときの共通点)

→友達がいない

→見た目が不気味

→運動神経がない

→はきはきとしゃべれない

→おどおどしている

→自分の意見を言えない

→空気を読んだ行動ができない。

 

・いじめについて(内容、時期、きっかけ)

→入学して1ヶ月以内にまわりは着々と友達をつくっていった。僕はその間一人で本を読んで過ごしていた。いじめのきっかけは今思うと、GW前に大原の喫煙を目撃したことかもしれない。

→5月:GWが明けた頃無視が始まる。僕をいない者としてプリントを飛ばしてまわされる。机を離される。授業中にちぎった消しゴムやプリントを丸めた物を投げられる。

→6月:「死ね」「キモい」などの悪口が始まる。「キモ蟲」というあだ名をつけられる。僕が触ったものは汚れたものとして扱われる。すれ違い様に肩をぶつけられたり、足をかけられたりする。上履きを隠されるようになる。教科書に落書きをされる。

→7月:何度かパシらされるが、買ってくるのが遅かったため殴られる。パシりもクビになる。お金を貸してくれと言われ、4000円をとられる(返ってきてない)。

→夏休み:学校の人間と関わらなかったので特になし。

→9月:「まだ学校に来てるのか」と言われカバンを窓の外に捨てられる。放課後トイレで囲まれ、キモいという理由で殴られる。

→昨日:自転車を壊される、本に落書きをされる。靴を隠される。

 

・頼れる先生はいるか

→学校で話したことがあるのは用務員のおじさんくらいで、それ以外は関わりがない。担任教師の森川は何度かいじめを目撃しているが、「ほどほどにしとけよ」と言うだけで何もしてくれなかった。教頭も上履きを隠されている姿を見ていたが特に何も声をかけてくれなかった。

 

【ターゲット分析】

・いじめっ子はどんなグループか(人数、組織図、グループメンバーそれぞれの特徴、会話している内容)

→山口グループ。5人組。会話の内容はラグビー、女子関係、下ネタ、お笑いがほとんど。

→リーダー:山口将大。ラグビー部で1年ながらレギュラーになっており、次期キャプテンと言われている。身体が大きくケンカも強い。クラスの人気者で、授業中にボケたりするとまわりの人間も先生もよく笑う。いじめの指揮をとっているが自分で手を下すことはほとんどない。

→実行犯:大原敦。山口が指示を出し大原が実際に手を出してくる。帰宅部で、放課後はよくカラオケに行くらしい。ちゃらちゃらとした外見で髪を染めピアスを開けており、教師からも目をつけられている。隠れてタバコを吸っている。

→他:松本、寺田、内村:大原にくっついて攻撃してくる。3人でいるときは攻撃してこない。見た目もやんちゃという感じではなく、いたって普通。内村は動きの遅い僕に代わってたまにパシられている。

 

一晩かけて僕はできるだけ具体的に書き込んだ。いじめの内容を書いているときはかなり苦しかった。

こうしてまとめると、入学してからずっといじめられている。中学も友達はいなかったが、いじめられたことはなかった。だからいじめられていることにも最初は気がつかなかった。だけど、日に日にその違和感が実態を伴い、僕の心はかさついていった。

辛いという感覚がしばらくして麻痺しはじめ、これはもう仕方が無いことなんだと諦め、我慢すればいつか収まると信じていた。この一週間が終われば。来月になれば。新学期になれば。それでもいじめは終わらなかった。

 

僕はその夜夢を見た。

ずっと行ってないあの地下街の喫茶店に僕はいて、父さんも一緒だった。いつもので、と答えてコーヒーが来て僕と父さんは二人して黙々と本を読んで。そしたら父さんは、そう言えば金子兜太の本どこいったか知らないか、と尋ねてきた。僕は気まずくなって、自分でも何を言ってるかわからない内容を必死に話して、席を立ち上がった。そこで目が覚めた。

戦わなければならない。

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『いじめRPG』第1章 僕みたいな者 左子光晴

僕みたいな者

 

そうだ、今日死のう。

自分でも気づかないうちに、口からぽそりと出ていた。さっきまで晴れていた空からぽつぽつと雨が降り始めていた。横を通り過ぎたおばさんが僕の足元を二度見したが、もうそんなことはどうでもよかった。

 

僕は裸足だった。靴下は履いてたんだけど、こんな自分が靴下を履いていることすら、靴下に申し訳なくて、さっき脱ぎ捨てたところだ。母さんに買ってもらったばかりの、スニーカー。機能性だけを重視したよくわからないメーカーのスニーカー。あのスニーカーがどこにいったかは、もうどうでもよかった。雨が強くなる。カッターシャツが少しづつ僕の身体に張り付き始めていた。

雨の日だけは電車で通学していた。今日は晴れだったから朝は自転車で来た。帰ろうと思い駐輪場に行ったところ、タイヤはパンクし、かごは捻じ曲げられ、サドルは見当たらなかった。

この信号を越えて少し歩けば駅だ。昨日の晩は「電車 事故 迷惑」で調べた。電車事故は遺族にものすごい迷惑がかかるそうだ。多額の賠償金を電鉄会社に払わないといけないらしい。母さんに迷惑はかけられない。それに僕みたいな人間のせいで、たくさんの人が遅延に巻き込まれてしまう。

信号?そうか。赤に変われ。赤に変われ。赤に変わった。そしてごつめのトラックよ、やって来い。車に轢かれれば、運転手から多額の慰謝料が家族に振り込まれるだろう。母さんもハッピーじゃないか。いや、でもその運転手は何も悪くない。こんなぼくのわがままな自殺のせいで、その人の一生をおじゃんにしてしまうかもしれない。それに確実に死ねるかわからない。生き残ってしまい、後遺症なんて残った日には、母さんに一生迷惑をかけることになる。

 ダメだ。

車は一台も通ることなく、信号は青に変わった。ぼくは黄色いブロックの上を丁寧に歩いていた。これに落ちたら死ぬ。黄色。黄色。黄色。あ、途切れる。

 パシャ

 ん?

    豪雨?僕の右半身はぐっしょりと濡れていた。どうやら水をかけられたらしい。でもそんなことはどうでもよかった。濡れようと乾いていようと、ぼくの心が晴れることはないし、惨めさが助長されて、逆に死ぬことを肯定されているような気すらした。ほら、やっぱり生きるべきではないんだよ、君はって。

僕は一瞬立ち止まったが、水源を見ずに、また黄色ブロックを歩き始めようとした。

すると右斜め後ろから声がした。「ごめんなさい!めちゃくちゃごめんなさい!ちょ、ちょっと、きみ!」

反射的に僕は振り返ってしまった。そこにはバケツと柄杓を持った、おじさん?おにいさん?がいた。

 「考え事してたらつい…とにかく拭くもの持ってくるか…」おにいおじさんは、僕の足元を見て、黙った。

ああ申し訳ない。こんな関係のない人にまで哀れみの感情を抱かせてしまった。やっぱり僕みたいな者は死んだほうがいいんだ。もういい、帰って死のう。僕は再び歩こうとした。

 「コーヒーおごるから、5分だけ話さないかい?」


おにいおじさんは僕の背中にそう投げかけた。こんなナンパをしている人を、一度街で見かけたことがある。5分だけか…なんて考えていたら、僕は腕をがしと掴まれていた。「ね、ちょっとだけ。ちょっとだけね。」

僕は抵抗する気力も無く、おにいおじさんに引っ張られるがままに喫茶店の中に引きずり込まれた。

猿タコス?

 

壁一面が本棚に囲まれていた。あいつらが絶対に知らないような本や漫画がずらりと並んでいた。本は何冊か読んだことがあった。かなりの本を読んでいるはずの僕にも、まだまだ知らないものがあるんだ。

聴いたことのない音楽が流れていて、この店によく来るバンドの音源なんだ、とおにいおじさんは教えてくれた。自転車で来るときは違う道を通るし、歩いて来る時はいつも下を向いていたので、こんな変てこな店なのに今まで気がつかなかった。

「ホットコーヒーでいいかな?あ、ていうか、僕ミチロウって言います。遠藤ミチロウのミチロウね。」

「は、はぁ…」僕は気の抜けた返事をした。

ミチロウさんは年齢がよくわからない人だった。肌つやの感じからして20代後半くらいに見えた。ボートレースと書かれたよくわからないTシャツに、どこかのお酒メーカーの前掛けをしていた。

少ししてミチロウさんは白いカップを僕の前に出してくれた。湯気が立っている。触れるととてもあたたかかった。コーヒーを飲むなんていつぶりだろう。あれ以来かな。砂糖を二杯入れ、少し混ぜてからクリームを垂らし、色が馴染むようにさっと混ぜる。こういうのは身体で覚えているもんだな。

一口飲むとちょうどいい温度だった。「あ、おいしい…」僕は自分でも気づかないうちに言葉を発していた。どこかで飲んだ懐かしい味だ。

「よかった。」ミチロウさんは多くを語らず、黙ってタバコに火をつけた。山口や大原のように僕を囃し立てることも無く、僕が話し始めるのをじっと待ってくれているようだった。ゆっくりと時間が流れた。僕は頃合いを見計らい話しかけた。

 

「か、川村です。川村俊樹。ぼ、僕の名前。」

「かわむらとしき。かわむらとしき。ふーん。年は?」

「じゅ、16です。」

「川村俊樹、16才。ふーん。おっけ。川村くんね。よろしく。」

「よ、よろしく、お、お願いします。」

「あ、ごめん忘れてた!これタオル!」

「あ、い、いえいいんです。僕みたいな者は、濡れたまんまでいいんです。」

「川村くん、面白いね。」

面白い?僕が?裸足で道路を歩く僕を見て、面白いと答えるこの人は何なんだ。やつらと一緒の人種なのか?でもこんな美味しいコーヒーを淹れてくれる人だ。いや、でもこうやってすぐに人を信じてしまうから僕はダメなんだ。駄目なんだ…

「質問してもいい?答えれる範囲でいいから。」

「は、はぁ…」

「人ってなんのために生きてると思う?」

「え…?」なんだこの人は。やっぱりわからない。試されているのか?僕の返答次第で笑いものにしようとしているのか?いや、ひょっとするとここはあいつらが入り浸っていて、この人もグルで、僕をさらに苦しめようとしているんじゃないか?

「唐突過ぎたかな。じゃあ、少し聞き方を変えよう。川村くんはどんな人間になりたい?」

「ぼ、僕は……」

「あ、もう5分経っちゃったね。今から店の準備しないといけないからさ。また明日おいでよ。」

「え、いや…」

「次は川村くんの意思で来るんだ。とにかく明日、またここにおいで。もし川村くんが朝から来たいと言うなら朝から来てもいい。ずっとこの店を開けておくよ。」

「あ、朝は学校が…」

「学校に行きたくて行ってるのかい?川村くんは何がしたい?まわりなんて気にしなくていいから川村くんのしたいことは何?とにかくボクはずっと店を開けてるから、川村くんにその気があるならおいで。」

「は、はぁ…」

「それまでに考えとくんだよ。じゃあ。」僕は半ば強制的に店を追い出された。なんだったんだ。いったい何者なんだあの人は。

外に出ると雨は上がっていた。僕は自殺することをすっかり忘れて、ミチロウさんのことを考えていた。

 

 

帰宅すると、仕事が早く終わったと言って、珍しく母さんがいた。雨が降ったからと言って自転車を置いてきたことはごまかせたが、靴はどうしたと母さんに問いただされ、僕はうまく答えることができず、お地蔵さんに備えた、とよくわからない嘘をついた。最近学校はどう?と聞かれたので、「別に普通だよ。」と答えて、急いで部屋にかけこんだ。うまく振舞えただろうか。

誰にも何も言われない僕の隠れ家。父さんの蔵書がずらりと並ぶ自慢の本棚。ここにある本はすべて読んだ。僕はあいつらよりもはるかにたくさんのことを知っている。だけどそんなあいつらに僕はいじめられている。僕は底辺だ。

 

帰るといつもはベッドにごろっと倒れるのだが、シャツがまだ濡れていたので僕はスタディチェアーに背もたれた。シャツはピタと張り付いた。

引き出し開けると、あれ以来ずっと書いていないノートが、奥で埃をかぶっていた。

カバンから本を取り出す。びりびりに表紙を破られた本。世界に一冊だけの本。ページをめくると、たくさんの罵詈雑言がマッキーで書きこまれていた。僕はすぐに本を閉じ、そして目を閉じた。今日と言う一日を反芻する。

 

 

学校に着くと、上履きがかたっぽ見当たらなかった。毎日毎日飽きもせずよくこんなことをするな。僕は慣れた手つきでゴミ箱を漁り、上履きのかたっぽを拾い上げた。教頭先生と少し目が合ったような気がしたが、先生はそのまますっと職員室に入っていった。

教室に入ると僕の机だけが端の端に追いやられていた。これまたいつもの動作で定位置に戻した。くすくすと笑い声が背中から聞こえる。僕は気にも止めず席に着く。

「はい、10日目も無言でした。おれの勝ちー。ほら100円出せ。」山口グループから声が聞こえ、「ちっ」という舌打ちや、「ふざけんなよ!」という怒声が僕に向けられた。

予鈴が鳴った。みんなは机から教科書を取り出す。僕はカバンから教科書を取り出す。勉強するために毎日持って帰っているわけではない。自分のものは自分で守らないといけない。

休み時間は一人で過ごした。教科書を閉じ、本を開く。世界が沈黙する。活字の群れが僕の頭に流れ込む。金子兜太の詩に、理は革新/情は現状/蕎麦がき軍歌、というのがあった。

蕎麦がきが何なのか、僕にはわからなかった。恐らく終戦から一段落し、昔の兵隊仲間と集まって蕎麦がきを食べながら酒を飲み、酔っ払った末に軍歌を合唱する大宴会。戦時中に、理想の日本について仲間と語りあった日々を思い出し、革新的な気持ちが芽生える。しかし現実は仕事や家族に追われる毎日で、心の中では現状に満足している。そんな詩だろう。

僕には何一つ当てはまらなかった。現状にも不満を抱き、かといって変化を起こすこともできず、同窓会で校歌を歌うような友人もいなかった。そもそも同窓会に声をかけられることもないだろう。

気がつくとまわりには誰も居なかった。はっと時計を見ると2限目はとうに始まっていて、壁に貼られた時間割を見ると体育の時間だった。僕は昔から、本にのめる込むとまわりが見えなくなる。

今更急いでもどうせ出席はとってくれない。今日も諦めよう。これで何度目だろう。

 

昼休みはいつもの場所で過ごした。非常階段を駆け下りた焼却炉の隣。ここは校舎のおかげでいつも日陰になっていて、ひんやりとして気持ちがいい。

母さんは仕事で朝が早いので、毎日500円を昼食代としてもらっていた。僕は前日の夜にスーパーで安くなった、4個入りのクリームパンと牛乳を買う。人間が、いや、僕が活動するのに必要な栄養はこれで十分だ。そんなことよりも、この浮いたお金で本を買うことのほうが僕には大切だった。父さんも学生時代は、飯代をけちって本を買っていたという。そんな父さんを僕はかっこいいと思っていた。

本を読みながらパンをかじる。チャイムの音で昼休みの終わりを知り、急いで教室に駆け込む。授業は少し始まっている。これもいつものことだ。初めは怒られていたが、2学期が始まる頃には、担任の森川先生も何も言わないようになっていた。

 

すべての授業が終わる。クラスのほとんどが部活に向かい、数人は教室で、カラオケに行くといった会話をしていた。くすくすと笑われていたが、僕は気にする素振りも見せず、机の中に何も忘れていないことを確認して教室を出た。

今日は用務員のおじさんとも会わなかった。だから誰とも会話をしていない。僕が学校で会話を許されているのは、授業中に当てられたときか、用務員のおじさんだけだった。一日誰とも話さないことも珍しくはない。自分がどんな声だったのかを忘れることもある。

駐輪場に向かうと、見覚えはあるが、面影のないボロボロの自転車が転がっていた。ネームシールを見る。川村俊樹。胃がキュッとした。喉まで何かがこみあげた。下瞼に何かが溜まる。それでも僕はぐっと堪えた。あいつらには屈さない。僕は負けない。あいつらが知らない本を僕はたくさん読んでいる。あいつらが馬鹿すぎて僕を恐れてるからいじめるんだ。

おもむろにカバンを開けると本が無かった。あれ?机の中は見たはずなのに。僕は胸騒ぎがし、上履きに履き替えると急いで教室に向かった。

階段の踊り場で山口たちに出くわした。僕は目を伏せ端に寄る。大原は「死にたいやーつはー死ねー」と口ずさんだ。山口が笑う。それにつられて松本と寺田と内村がぎゃははと笑う。やつらが通り過ぎたところで、僕は階段を駆け上がった。

教室はがらんとしていた。自分の机を見る。嫌な予感がする。机の上には、本が置いてあった。見覚えはあるが面影のない本が。

「ごめん。」僕はそう呟いていた。その日初めて声を出した。

 

何かが崩れた。僕を支えていた何か。

黒い影が僕を包み込む。

正直になろうぜ。もうわかってんだろ?お前は底辺なんだよ。お前が読んできた本なんてなんの意味もねえんだよ。あいつらが馬鹿すぎるから自分をいじめるってか?ちげーよ。お前がまわりよりもはるかに劣ってるからいじめるんだよ。夏休みが明ければ何かが変わると思ったか?何も変わらねえよ。友達もいない、まともに人とも関われないお前に、いったい何の価値があるんだ?

 

下駄箱には僕のスニーカーは無くて、脱出ゲームスタート、と書かれた紙が置かれていた。

 

 

死にたい気持ちが、ぱちぱちといこってきた。僕は底辺の人間だ。生きてる価値がない。

カッターナイフを右手に握る。半袖のシャツからは、何の凹凸もない突っ張り棒のような白い腕が出ていた。女子のように華奢な指。肋骨が浮き出た貧弱な身体。申し訳程度ににゅっと生えている枝のような足。いつから髪を切ってないんだろう。肩にやや届かないその髪は、油分が足りずパサついていた。カリッカリに痩せた耳たぶ。

自分でも笑えるくらいに、いじめられっ子の、それだった。

 

 

まわりよりも劣っている人間だと、ずっと自覚して生きてきた。

僕は1853グラムで生まれた。すぐに保育器に入れられ、母さんはとても心配していたが、父さんは黒船来航の年だね、覚えやすいね、と笑っていたらしい。なんとかそこから大きくはなったものの、同年代の平均体重を越えることはついぞなかった。

勿論そんな身体に運動神経が備わることは無く、体育の時間を楽しいと感じたことはない。見るに見かねた母さんは、僕が小2の頃に空手を習わせようとしたが、父さんは俊樹の好きにさせれば、と言った。僕は父さんが大好きだったので、見学にすら行くことはなかった。あの時僕を殴ってでも空手道場に連れていってくれたら、ひょっとしたらひょっとしたかも…と思うが、もう今更遅い。

運動ができない代わりに、僕は数え切れないほどの本を読んだ。幼稚園の頃なんかは母さんが絵本を読んでくれた。正直退屈で仕方なかった。キャラや国、時代が違えど、お話のフォーマットはどれも似ていた。でも母さんが嬉しそうに読むので、僕は母さんの誠意に報いなければいけないと思い、全力で楽しむふりに努めた。

小学生になると僕は父さんの書斎に入り浸った。父さんはありとあらゆる本を持っていた。「また本買ってきたの?床抜けるからいい加減にしなさいよ!」と母さんによく怒られていたが、それでも毎月20冊は買っていたと思う。

週末になると、父さんと一緒に古本屋にいった。その古本屋には僕と同い年くらいの子どもはいなくて、大人やおじさんやおじいさんしかいなかった。「何か一冊選んでおいで。」と言われ、父さんは自分の世界に入る。初めは父さんにくっついていた僕だったが、次第に自分で本を探すようになった。僕と父さんは1時間後にレジで合流する。そのときに「お、渋いの選んだな。」と言われるのがたまらなく嬉しかった。

帰りはいつも喫茶店に寄った。商店街から少し歩いた地下街に、その店はあった。細長い店内には小さな机と椅子がひしめき合っていて、知らない人と相席することがしばしばあった。

父さんが学生の頃からおじいちゃんだったというマスターは「今日は何しましょ」と近づいてくる。父さんはいつもので、と答える。僕もいつもので、と答える。「はいはい。」とマスターは答える。「いつもので」と答えは決まっているのに、「今日は何しましょ」といつも聞いてくるマスターがいつもおかしくて、父さんはいつもニヤッとしていた。

父さんはブラックのまま飲む。僕には苦くて美味しくないので、砂糖を二杯入れてクリームを垂らして飲む。父さんは胸ポケットからロングピースを取り出し、タバコに火を点ける。そして買ったばかりの本を取り出す。

父さんの集中するときのルーティーンで、タバコを吸い始めると話しかけてはいけない、という暗黙の了解があった。タバコというものはリラックスしながら会話を楽しむためのものじゃないのか、と今となっては思うが、当時はそういうもんなんだと理解していた。それにお互い何もしゃべらず、ただコーヒーを飲みながらそれぞれ本の世界に入り込む週末の時間が、僕は大好きだった。

 

 

父さんにはたくさんのことを教わった。

昔「ムイミダス」というとても面白いコント番組があったこと。

ネパールにジャングルナイトツアーというのがあって、動物は一頭もおらずゾウの糞しか落ちていなかったこと。

落語は志の輔から入れば間違いないということ。

「亀は意外と早く泳ぐ」という映画がとても面白いということ。

高田渡の「コーヒーブルース」に出てくるかわいいあの子は店員ではなく、イノダで待ち合わせをしている子だということ。

たくさんたくさん話してくれた。

だけど僕は本に固執して、父さんの薦めるものには手をつけなかった。なぜかはわからない。本こそがすべてだと思っていた。

あの頃は楽しかったな。

 

僕はカッターナイフに力をこめた。左手首がぐっと沈む。これを引けば、すべてから開放されるんだ。いけ。いけ。いけ!

カキッ

嘘みたいにカッターナイフの先端が折れた。左手首からは、小さな赤い点がぷちちと滲む程度だった。右手は震えていた。

明日にしよう。僕はガクッと力が抜けて、そのままベッドに倒れこんだ。